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(2010-05-09の週報より)

「私たちの心に注がれる神の愛」

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私たちがまだ罪人であったときキリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
 (ローマ5章8節)

Gog demonstrates his own love for us in this: While we were still sioners. Christ died for us

 一、罪による死と義とされること(ローマ4章25、5章1節 このローマ人への手紙を書いたパウロは、イエスが、私たちの罪のために十字架で死な れたと語ります。イエスが、私たちの代わりに、聖なる神のさばきを受けてくださったということです。しかし、キリストはよみがえられました。なぜでしょう か。聖書は、人が罪を犯したので、その呪いとして『死』が人を苦しめることになったと言います。けれども、その罪がイエスによって除かれたのです。それ で、死はその力を失いました。そのことの保証として、まずイエスがよみがえられたのです.言い換えると、イエスのよみがえりは、私たちの罪が取り除かれた しるしであると言うことです。その結果、私たちは、罪人でありながら、神に義と見なされると説明しています。クリスチャンが『赦された罪人』であると言わ れるのは、まさにこのことなのです。
 もしそれを信じないならばどうなるでしょうか。せっかくの赦しを拒否したことになるでしょう。けれども、信 じるならば、義と見なされます。そして、神との親しい交わりの関係に入れられるのです。神との平和をもつことになるのです.聖書の語る『平和』とは、単に 地上に争いや戦いがないということではありません。罪という障害が取り除かれて、神との親しい交わりがあるということです。

二、神 の愛が注がれているということ(ローマ5章2ー5節)イエスによって救いの恵みに置かれた私たちは、将来、神が私たちを御国に招いてくださることを信じて 喜びます。しかし、それだけではありません。いまのさまざまな悩みや困難の中で、それすらも喜ぶことができると聖書は教えています。何故でしょうか、実は さまざまな困難や悩みの背後に、神の愛があるのです。艱難に耐えると忍耐を学びます。忍耐は、私たちの人格的な品性を練り上げます。この品性は、ますます 神への希望を生み出すと教えています。しかも、この希望は、裏切られることがありません。というのは、御霊によって信仰が与えられ、実際に神との愛の交わ りが与えられているからなのです.確実に、神が私たちの信頼にお応えくださるからなのです。

God三、先行する神の愛(ローマ5章6ー11節)
 私たちは、親切な友には自分も親切にしたいと思うでしょう。失礼で意地悪な人には、かかわりたくないし、まして積極的に親切にするということになると、躊躇するのが自然ではないでしょうか。
  ところが聖書は、私たちが神にに立ち返ったから、神が私たちのためにの救いを用意してくださったとは言いません。私たちが神の前に正しくない時に、イエス は十字架にかかって死んで下さったと記されています.両親の愛もそれに少し似ているかも知れません。たとえ問題のある子供でも、親は自分の子供であるとい うことで、愛するのです。
 神は、人をこよなく愛しておられます。見返りとしての親切ではありません.私たちを愛するゆえに、御子を十字架につけてさばき、私たちに罪に対する神の正しい怒りを、御子に注がれたのです

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