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(2020-01-27の週報より)

「主にささげる」

  

主題   主にささげる                        
      進んで主にささげることによって成長する。


聖句=『神は喜んで与える人を愛して下さいます』(Ⅱコリント9章7節)
聖書箇所=マルコ12章41−44、Ⅱコリント8章1ー15b節
*イエスは『天に宝を積み上げなさい。………あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです』 (ルカ12章33、34)といわれました。確かに人の心は、最も大切にしているもののところにあり、金銭と時間の使い方を見ればその人の心がどこにあるかがわかります。神に従う時、人は神にすべてをささげ、神の働きに励むようになります。その生きた模範を、レプタ銅貨二つをささげた貧しいやもめ(ルカ21章1ー4節)とパウロの勧め(Ⅱコリント8、9章)とに見ることができます。


一、貧しいやもめの献金(マルコ12章41−44、)


 ある日、イエスは献金箱に向かって座り、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられました。神殿の『婦人の庭』に、献金箱があり、お金を投げ入れることができるようになっていたのです。多くの金持ちたちが沢山のお金を投げ入れました。そこに、一人の貧しいやもめもやってきて、そっとレプタ銅貨を二つ入れたのです。その姿は、堂々とした金持ちたちにくらべて、控えめで目立たないものであしょう。しかし、主は確かに、やもめがわずかな銅貨を投げ入れるのをご覧になっておられたのです。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われました。42節を読んで下さい。『どの人よりも沢山』とは、実際の金額のことではありません。金持ちたちがささげたお金は、驚くほど大きな金額だったかも知れません。しかし、それは彼らにとって、有り余ったお金であり、あってもなくても彼らに生活にまったく支障のないものでした。しかし、やもめとっては、レプタ銅貨二枚は『たくさん』の金額でした。それは彼女の財産のすべてだったからです。
主が喜んで下さるささげものとは、主を心から愛する思いをもってささげられた犠牲的なささげものなのです。主は心をごらんになる方です。大切なのは実際の金額ではなく、どのような思いをもってささげられているかなのです。


二、献身のしるしとして(Ⅱコリント8章1ー6節)


 パウロは、コリントの教会にあてた手紙の中で、献金についてマケドニヤ教会を模範とするよう勧めています。マケドニヤ教会は、主の働きのために、惜しみなく献金をささげる教会でした。2ー5節を読むと、マケドニヤ教会がどんな態度で献金をしたかが記されています。まず第一に、主に救われ愛されていることの喜びと感謝からささげました。第二に、試練と苦しみの中からささげました。ふつう私たちは、苦しかったり悲しかったりすると、自分のことで精一杯にになってしまいます。しかしマケドニヤ教会の人たちは、苦しみの中にあっても主の働きに思いをはせ、他の教会に配慮したのです。第三に、極度の貧しさの中からささげました。献金とは、お金が余ったからささげるというものではないのです。第四に、自発的にささげました。献金とは、人から強制されたからするものではありません。第五に、主に対する献身の表れとしてささげました。主のご用にために、自分自身をささげる、そのしるしとしてささげたのです。


三、この恵みの業に富む(Ⅱコリント8章7ー15節)


 7節を読みましょう。パウロは、私たちクリスチャンに、信仰や愛に富んでいるように、この恵みの業、つまり献金にも富むよう勧めています。主ご自身がすべてを投げうって私たちのために貧しくなられ、最後に命まで捨てて下さったのです。それゆえに、私たちは、永遠のいのちという素晴らしい富を頂くことができました。主に倣い、主への感謝と献身の表れとして、この恵みの業に富む者とならせていただきましょう。
(祈りましょう)

 

  

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