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(2019-11-10の週報より)

「罪を犯したダビデ」

  

主題 罪を犯したダビデ                         
    罪を告発し、神に救いを求める。


聖書箇所=Ⅱサムエル11章1−1−12章1−15、 詩篇51篇
聖句=『ヒソプをもって私の罪をきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。
    私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。 (詩篇51篇7節)


*聖書のギリシャ語原文では、罪のことをことを『ハマルティア』といいます。『的外れ』という意味です。
  弓矢競技で得点の単位で、的の中央からどれだけ外れたかの表現でした。同じように神の心から私たちが離れている状態が罪なのです。いつも神の心にぴったり寄り添っていたダビデですが、ここで罪に陥ってしまいます。ダビデの何が的を外してしまったのでしょうか。


一、ダビデの罪(Ⅱサムエル11章)


 サウルが王が戦死した後、ダビデはイスラエルの王となりました。戦いによって国の領土がどんどん広がり、主都エルサレムは繁盛しました。順調満帆に思えるようなその時、ダビデは人生最大の罪を犯してしまうのです。
(1、2節)この時、イスラエルはアモン人と戦っていましたが、ダビデは戦場には行きませんでした。『今回も勝てるだろう』という気持ちがあったのかも知れません昼寝空、寝覚めたダビデが、王宮の屋上を散歩しながら町を眺めていると、一人の美しい女性が目に留まりました。それはバテ・シェバという、今戦いに行っている兵士ウリヤの妻でした。
 ダビデは他人の妻を奪うことが罪であると、知っていたはずなのに、彼女を自分のものにしたいという欲望に負け、なんと妊娠までさせてしまいました。さあ大変です。慌てたダビデはウリヤを呼び寄せ、何とかして家に帰そうとするのですが、ウリヤは兵士のかがみのような人でした。11節の彼のことばを読みましょう。ヘテ人という異邦人の出身でありながら、神を信じ、恐れるウリヤ。彼の誠実な態度は、罪を隠そうと必死に手を打つダビデとは何とも対照的です。
 ついにダビデは、ウリヤを激戦地で戦死させるようにとの指令を出し、彼を殺してしまいました。そうしてウリヤの妻を迎え入れ、すべてがうまくいったはずでした。しかし、神はすべてを見ておられました。
27節を読みましょう。


二、預言者ナタン(Ⅱサムエル12章1−15、)


 主は、預言者ナタンをダビデのもとにお遣わしになりました。ナタンは貧しい人から大切な子羊を奪い取る裕福な男の話をしました。それを聞いたダビデは『そんなことをした男は死刑だ』と怒りましたが、すかさずナタンが言いました。『あなたがその男です』そして、ダビデの罪がどれほど神に背くものであったのかを告げました。
 自分の罪を指摘する人が現れたとき、皆さんならどうするでしょうか。ダビデは王の権限でナタンを捕らえることもできたでしょう。他の国の王たちだってやっているだろうと、自分を弁護することもできたでしょう。しかし、ダビデは自分の罪を認めました。13節のダビデのことばを読みましょう。神は罪を告白したダビデを赦してくださいました。罪を認めて悔い改める者を、主は必ず赦してくださいます。しかしナタンがダビデに告げたとおり、その後ダビデはバテ・シェバとの間に生まれた子を失い、家庭に多くの問題を抱えることになりました。『神は、赦してくださるから』と、罪を軽く考えてはなりません。


三、救いを求める祈り(詩篇51篇)


 詩篇51篇は、この時の罪を悔い改めるダビデの祈りです。彼が自分の罪に苦しみ、悩み、一生懸命
神に赦しを願ったことがわかります。ダビデは罪を認め(4)ぶれやすく、主に背いてしまう自分を変えてくださいと祈ります(10)そして、救いの喜びと、喜んで仕える霊を求めています(12)以前のように神と深く交わりたいと、心から願っているのです。そのような告白を、神は何より喜ばれます (16−17)
私たちが罪を犯したときも、まず素直に告白することが大切です。主は、赦しと救いの喜びを与え、もう一度、共に歩んでくださいます。
(祈りましょう)

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