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(2019-06-15の週報より)

「キリストの体なる教会」

  

 主題 キリストの体である教会     
   教会はキリストの体でありキリストは教会の頭である。
聖句=あなたがたはキリストのからだであってひとりひとりは各器官なのです。(Ⅰコリント12章27節)
聖書箇所 Ⅰコリント12章12−31、コロサイ1章1−18節
*パウロは,教会を表すために『キリストのからだ』という表現を好んで用います。(ローマ12章、Ⅰコリント12章エペソ人への手紙)その表現によって,彼は教会の優れた三重の真理を語っています。


一、キリストにあって一つ(コリント12章12、13、)


 まず、民族や社会的違いを超えて、キリストにあって一つの体とされた(Ⅰコリント12章12−13節、ガラテヤ3章28節参照)次に,教会の中で立場や能力が違っても,同じ体のそれぞれの部分であって一つなのです。これらのことが本当にわかったとき、クリスチャンは民族や社会的階級を超え、霊的賜物や奉仕は違っても、キリストにあって
一つになることができるのです。
 また、たとえ民族や社会的階級は違っても一致し、たとえ奉仕の働きは異なっても調和することができるのです。
この一致と調和こそ、一体性の真理の結ぶ実なのです


二、キリストにあって多く(コリント12章14−24、)


 体は、一つの部分ではなく、多くの部分であり多くの部分からなっています。日本聖書協会訳では『肢体』新改訳では『器官』と訳されていることばは、ギリシャ語ではメレーで、体のそれぞれの部分のことです。一つの体には,手、足、目、耳、といった多くの部分があり、それぞれ違った働きをしています。それと同じように、同じ教会の中にも、老若男女がおり、立場も性格も違っています。当然、教会の中における奉仕の働きにも相違があります。その相違を批判するのではなく、むしろ、互いに尊重し合うことが大切です。
『一致する』というのは、みなが同じになるのではなく、むしろそれぞれの違いを尊重ししながら一体となることです。多様性における一体性です。この優れたあり方がわかったとき,教会の中に、分裂や対立ではなく、互いに批判するのではなく一致が生まれてきます。互いに評価するのではなく調和が生まれ育ってくるのです。


三、キリストにあってともに仕える。(1コリント12章25−30)


 キリストにあってともに仕え、共に成長することです。体である教会の中に、分裂や対立ではなく、互いに仕え、いたわり合うあり方が育ってくるのです。部分が尊ばれればすべてが喜ぶ。『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい』(ロマ12章15節)という勧めも,同じ体の一部分である真理に基づいています。
 共に仕え合うために,神は教会の中に多くの異なった賜物を持つ人々を与えられます。使徒、預言者、牧師、奇跡を行う者、いやしの賜物を持つ者、治める者などです。そのような者たちに求められることは、それらの賜物を誇ることではなく、むしろそれらの賜物を用いて互いに仕え合うことです。(ロマ12章3−8)互いに積極的に仕え合うことによって、ともに成長できるのです。それこそ、体が私たちに教えている優れた真理です。この真理が正しく理解され現実の教会の中で生かされるとき,多くの問題は解決し、私たちは恵みのうちに成長することが出来るでしょう。キリストの体である教会の真理を、私たちの教会に生かしていきましょう。
 (祈りましょう)

 

 

 

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