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(2019-03-17の週報より)

「誘惑に勝つイエス」

  

主題 誘惑に勝つイエス                   
   イエスは、聖書のことばを使って誘惑に勝たれた。
聖句=あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。(ルカ4章8節b)
聖書箇所=ルカ4章1ー13節
 バプテスマを受けられた後、イエスは荒野で悪魔の試みに遭われた。それは、御霊に導かれてではあるが、宣教の生涯に入るためには避けて通ることのできない道でもあった。私たちも、主に従って生きようとする時、同じ試みを経験する。その経験に、勝って、始めて完全に主に従うことができるのである。


一、パンの誘惑(ルカ4章1ー4節)


 イエスは、荒野で40日間、断食をされた。モーセも40日間断食をし(出エジプト34章28節)、エリヤは40日間歩いて神の山ホレブに着いた(1列王19章8節)。イエスが空腹になられた時、悪魔は『もしあなたが神の子なら石をパンにしたら』と試みた。それに対し『人はパンだけで生きるのではない』と申命記8章3節の後半のことばをもって答えられた。マタイ4章4では、申命8章3の後半のことばを加え『神の口から出る一つ一つのことばによる』といわれている。
イエスの回答には、パンはなくても生きられるという神に対する絶対の信頼があり、それはまた神のみことばに生きる宣言でもあった。その信仰がパンの誘惑に対し、勝利となった。


二、権力に対する誘惑(5−8節)


 悪魔は、世界のすべての国々を見せ『もしあなたが私を拝むなら』(7節)、この国のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう』といった。マタイ4章8では『この世の国々とその栄華』となっている。
 権力と栄光は、人間にとって、最も魅力的なものである。そこで、多くの男たちは、権力と栄光を手中に収めるために、血みどろの戦いを繰り広げる。公の生涯を始めたイエスにとっても、それは大きな誘惑であった。しかし、答えていわれた。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』(8節)。
 イエスは、ここでも申命6章13節のことばを用い、主なる神に仕えることを宣言された。悪魔にひれ伏して権力と栄光を得るより、主なる神に仕える道を選ばれたのである。私たちも、権力と栄光の誘惑に勝ち、主のしもべとしての道を歩もう。


三、不信の誘惑(9ー13節)


 悪魔は、エルサレムの神殿の頂にイエスを立たせると、いった。『あなたが神の子なら、ここから、飛び降りなさい。
『あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。「神は、御使いに命じてあなたを守られる。』と書いてあるからです』(9ー11節)。悪魔は、今度は詩篇91・11,12のことばを用いて試みる。ここで『あなたが神の子なら』と試み、また神のことばを利用しながら、巧みに神を試みるように勧めるのである。それは、不信仰への誘惑であった。
 イエスは答えていわれた。『あなたの神である主を試みてはならない』申命6章16節のみことばであり、ここでも神のみことばによって答えられた。神のみことばに対する絶対の信頼、それがああらゆる誘惑に対する勝利の秘訣である。私たちも、主イエスに従って生きようとする時、生活上の不安、この世の権力や栄光への誘惑、そして神を試みる誘惑があるが、それらに勝たなければならない。
*ルカ4章8b
 イエスのこのことばは、厳密には申命6章4−16節からの自由な引用である。もとの文章は、あの有名なシェマー
(聞け)始まり、主なる神に対する徹底した愛と従順を強調している。唯一の神の恵みの導きを語り、神に仕えることを勧め、その主なる神を試みてはならないと戒めているのである。
 それは、すべてのイスラエル民族が幼い日から教え諭されてきて、だれでも知っていることであった。しかし現実の生活においては、パンの不安と共にこの世の権力と栄光への誘惑は大きかった。イエスが宣教の生活を始める時も、それは大きな試みであった。今日の私たちにとってもまったく同じである。神のみことばに従って、主なる神のみを拝み、主にだけ仕える者となりたい。それは、すべてを捨てることであるが、またすべてを得る道である。
(祈りましょう)

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