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(2019-04-21の週報より)

「主イエスの復活」

  

主題   主イエスの復活     イースター                
      復活の主を信じる
聖句=わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11章25節)
目標 イエスが、十字架につけられて死に復活された救い主であることを信じる。
聖書箇所=ヨハネ20章

 金曜日の朝に十字架につけられ、その日のうちに死んで葬られたイエスは、あしかけ三日後の日曜の朝、墓からよみがえられました。四福音書はすべてこの復活の出来事を記すが、それぞれ伝えたいポイントに焦点を絞って書いているので、イースターの朝の出来事を時間順に正確に再現するのは難しい。これは、復活の証言が四福音書相互に矛盾しているということではなく時間順に再構成できるようなドキメンタリー・タッチで記すことが最初から意図されていないということです。今年はヨハネの福音書から復活の出来事を学びましょう。


一、復活を予想しなかった弟子たち(ヨハネ20章1ー13、24、25節)


 イエスはご自身の復活のことを以前から予告しておられました(マタイ16章2−など)。しかし弟子たちにはその意味するところが分かりませんでした。人類がだれも経験したことのないことをイエスが予告なさったのだから、弟子たちが信じられなくなっても当然でしょう。
 その結果、日曜の朝、復活のイエスにお会いするまでは誰もそうなることを期待していませんでした。最初に墓に行ったマクダラのマリヤも、その後に行ったペテロと『もう一人の弟子』(おそらくこの福音書の著者であるヨハネ自身)も、空の墓を見た段階ではまだ事態がよくのみこめなかった。その日の夜のイエスとの出会いの席に居合わせなかったトマスも同様に信じられなかった。彼らの中でヨハネだけは、空の墓と置かれたままの亜麻布見た時、おそらくイエスの以前のことばを思い出し、事態を悟ったようでありありさりげなくつつましやかに『見て、信じた』と記しています(8節)。しかしまだこの段階では理解も信仰も不十分であったと福音書執筆時のヨハネは判断し、若き日の自分だけ別に扱いすることを避けて仲間の弟子たちと同等に扱うことにしたのでしょう。


二、弟子たちに現れたイエス(14−23、26ー29節)


 そのように復活の期待を持っていなかった弟子たちに、イエスは、ご自身を現して下いました。 
 悲しんでいるマリヤに涙の理由を尋ね(15節)、恐れている弟子たちには『平安があるように』と励まし(19節),
疑っているトマスには『証拠』を提示してくださり(27節)。そしてそれぞれに対し、イエスの復活を人々に伝える証人としての使命を託して下さいました。


三、イエスの復活の意味


 弟子たちは、復活を予言するイエスのことばも、復活したという仲間の証言、実際イエスにお会いするまでは信じられないほどの弱い存在でした。けれども主イエスを愛し、慕っていたという点ではそれぞれ熱い思いをもっていました。
こうした者たちの思いにイエスはこたえ、ご自身を現し、彼らの弱さをぬぐい、使命に生きる新しい存在として立ち上がらせせて下さったのです。
 救い主イエスの復活は、そのことを信じる私たちが罪に死んだ状態から新しいいのちと使命に生きはじめるためなのです。
(祈りましょう)

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