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(2019-09-01の週報より)

「天からの食物」

  

 

主題 天からの食物                               

   神は必要なものを与えてくださる。

聖句=あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる。

                              (出エジプト16・12c)

聖書箇所=卆エジプト15・23−25、16・1−17・7、)

一、マラ(15章23−25)

 イスラエルの人々は葦の海を渡った後、三日間荒野の旅をしました。イスラエルの人々にとって、これが、四十年もの旅の始まりでした。そこで水が欠乏し始めたのです。ですから、三日目に水が見つかった時には大喜びでした。しかし、その水が苦くて飲めないと分かった時、余計大きな失望に襲われたのです。三日前にイスラエルの人々がどんな体験をしたか、覚えていますか大自然を支配している神の素晴らしい業を見ました。それなのに『民はモーセにつぶやいて』とあります。自分のことばかり考えていて、神に信頼も期待もしていませんでした。モーセは、民の不満を聞いて、神の願いました。神が示してくださった、木の枝を水に投げ込むと、水は飲めるようになりました。それで、その所を『マラ』(苦いの意)と呼ぶようになりました。このことを通して、神は従ってくる者に恵みを与えることを教えて下さいました。26節を読みましょう。神はエリムという場所では豊かな水と休み場を与えて下さいました。

二、マナ(16章)

 イスラエルの民がエジプトを出発してから五十日ほどたつて、シンの荒野に入ると、エジプトに入ると、エジプトから持ってきた食べ物が底をついてきました。人々はマラの時と同じようにつぶやき、前に住んでいたエジプトのことを思い出して『エジプトにいたほうがよかった』と言い始めました。3節を読んで下さい。人々はエジプトでの苦しかったことや、そこから救い出されたことを、すっかり忘れてしまったのでしょうか。そこで神は、人々にパンを与えて下さいました。これは、イスラエル人が立派だったからでありません。神の一方的な恵みです。このパンを、人々は『マナ』と呼びました。

 このマナについて、今日、いろいろな説があります。例えば、ぎょうりゅうの木の樹液とかマナ虫から出る分泌液だとか言う人がいます。これらは砂漠の遊牧民の食用に用いられていると言われています。

しかし、次のことを考えると、マナが自然現象であったとしても、神の奇跡であったことがわかります。

a全員が食べるのに十分与えられた。b一日に必要な分しか集めることができず、余分に集めても腐ってしまった。c 安息日前には二日分集めることができ、これは腐らなかった。d安息日にはマナは、降らなかった。これは、自分流のやり方でなく、神が決められた方法で神に従うと言うことを教えています二十、二十七節には、それを守らなかった人がいたことが記されています。この出来事は、神が人々に命を与えてくださる方であることを教えてくれます。

三、マサ(17・1−7、)

 イスラエルの民は、神の命令でシンの荒野を出発しドフカ、アルシュを通ってレフイデイムに着きました。この途中で、また水がなくなりました。人々は次の宿営地に水があることを期待したのですが、そこには水がのです。人々は、神に従って訓練を受け、神にに喜ばれる者にならうというより『なぜ、自分たちは、こんな苦労をしなければならないのだろう』という思いがあったのでしょう。前よりももっと不信仰になり『モーセと争い』モーセを石で打ち殺そうとしました(4節)。イスラエルの民は今まで神によって助けられたことを感謝もせず、モーセに向かってつぶやきました。しかし、神は今回も忍耐をもって民に水を与え、神の恵みを示されました。

 さて、ここでモーセは民に『なぜ主を試みるのですか』と言いましたが、なぜ、人々のしたことが主を試みることになるのでしょうか.それは、神に信頼せず、期待せず『神には、こんな事は出来ない』また『してくれない』と、神の真実やご計画や力を否定したり疑ったりすることです。それでモーセは、ここを『メリバ』(争う) 、また『マサ』(試みる)と呼びました。マサのことは、申命6・16で『あなたがたはマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない』と戒められています。イエスはこの言葉を用いて、サタンの誘惑を退けられました。(マタイ4章7節)

 神は、人々の必要をすべて知っておられ、どのようにしたらよいかも知っておられます。その神を信頼しましょう。

(祈りましょう。)

 

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