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(2019-12-23の週報より)

「イエス様の母マリア」

  

 説教者  東大阪エリムキリスト教会 竹腰明人師

 イエス様の母マリア

ナザレの町のマリア

ナザレという町の地名は、旧約聖書音中では一度も登場していません。

ナタナエルという人がイエス様の弟子になる前のことですが、
「ナザレから何の良き者が生まれるのか」と言いました。 当時、ナザレの町からは、神様の良き働き人が出るはずがないと思われていたのです。 

しかし、主はナザレの町を覚えておられ、愛しておられ、そのナザレの町のマリアから、世界の救い主キリスト様がお生まれになったのです。

ここ東大阪の荒本も、日本のキリスト教の歴史の中で取り上げられた事のない場所ですが、主はここに12年前に教会を建ててくださいました。それは、主がこの町を覚えておられ、愛されているという確かな証拠です。

今月のキッズクリスマスには、地域の子供たち16名が来てくれました。
来週のクリスマス礼拝も主が、一人一人を集めてくださいます。
ここに集められる一人一人のことを、主は覚え愛しておられます。

先週は、ミニコンサートで3曲歌ってくださる方と打ち合わせをしました。
その方は「私は、クリスチャンではありませんが、ここは教会ですから、イエス様を礼拝することが大切です。私は、ただ歌をささげるだけです」と語ってくださいました。そして、賛美の中で「主」という言葉が出てきますので、その「主」という言葉を大切に歌わせていただきますとも言われていました。

イエス様がお生まれになったクリスマスの日、普段はなかなか礼拝できない羊飼いたち、
さらには、遠い国の東の博士たちも駆けつけて、イエス様を礼拝しました。

クリスマス礼拝の時、クリスチャン、ノンクリスチャンという隔ての壁が取り除けられ、
共にイエス様のお誕生を心からお祝いし、イエス様の臨在が色濃くあらわれますように。

処女マリアの覚悟

1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。

今の日本では、「いいなずけ」に法的な根拠は全くありませんが、イエス様がお生まれになった頃のユダヤの文化では、法律的に、ヨセフとマリヤは結婚していた事になります。

マタイ1:18・・・母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。

マリアは、ヨセフと婚約していましたが、当時のユダヤの文化ではすでに婚姻関係にありますので、ヨセフの事を「夫のヨセフ」と呼んでいます。

当時の結婚制度では、婚約期間も法律的には、夫婦とされました。そして婚約期間は、それぞれの家で純潔を守りながら生活します。その間に、子供ができてしまえば一大事です。 もしも、妻が他の男性と関係を持って子供ができたとしたら、姦淫の罪を犯したふしだらな女性として町の「さらし者」になります。下手をすれば、石打の形で殺されてしまいます。 それを恐れたヨセフは、ひそかにマリアを離縁しようとしたのです。 

夫のヨセフだけではなく、マリアも、聖霊によってイエス様を身ごもり、生み、育てる事に、相当の覚悟が必要だった事でしょう。なぜなら、そこには世間の無理解、誤解、中傷などが予測されたからです。

マリアの子イエス様

1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」

これは、旧約聖書の預言(Ⅱサムエル記7:11-13,イザヤ9:6-7)などを集めてまとめたものです。
その預言通りマリアに宿った子、イエス様は神の子と呼ばれ、世界の救い主キリストとなり、全人類の罪のきよめを十字架の上で成し遂げ、三日目に復活しました。イエス様は死ぬ事がなく、永遠に生きておられるお方であり、この世界の全てを治めておられます。

イエス様を身ごもり、育てる事。それはナザレの町の幼い女性にとって、大きすぎると思える神のご計画でありました。

引き上げられたマリヤの信仰

1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。

マリアは主に選ばれた純粋な信仰者でありましたが、神様のご計画は、あまりにも大きすぎて、すぐには信じられず、受け止めきれないほどのものだったのです。ですから「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに」と戸惑いを隠せませんでした。

そこで、御使いは、マリアの信仰を引き上げるために、3つの事を伝えました。

❶ 聖霊の力

1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。

神様の霊である聖霊様は、処女マリアに男の子を宿す事ができると教えてくださいました。
人間にはできませんが、聖霊様は、新しい命を生み出す事がおできになります。
私たちも、聖霊様の力を信頼し、期待しましょう。聖霊様は、罪人に罪を悟らせ、悔い改めへと導き、その人を新しく生まれ変わらせる事ができるお方です。どうか、この教会を、この町を聖霊様がおおってくださり、多くの人々が新しく生まれ変わりますように。

❷ 神の御言葉

1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」

御言葉は生きており、信仰を引き上げる力があります。
この御言葉がマリアの信仰を引き上げました。
私たちも、信仰を引き上げていただくために聖書を読みましょう。
その信仰を保つために、聖書を読み続けましょう。
聖書の御言葉は、私たちの信仰を引き上げます。

❸ 証

1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。

御使いが話したエリサベツの証によって、マリヤの信仰は引き上げられました。

証とは、自分の成功話を人に伝える事ではありません。
証とは、神様が自分にしてくださった事を伝える事です。
神様の恵みによって変えられた私を伝える事が証なのです。

最近、ある方が水曜のバイブルタイムに来られました。
こんな事を言ってくださいました。 「ある伝道会に参加したとき、極道の人が救われた事を知りました。あの人が、変る事ができるなら、この私も変る事ができるんじゃないかと思ったのです。それでこちらにも(東大阪エリム)来ました。」

先週の、木曜礼拝の後には八尾市に引っ越された上郡さんの所に行ってきました。

すると、ベットの横にあった台の上に、大きな聖書が置いてありました。それだけで、私は恵まれてしまいました。そして最後に一緒に賛美と祈りの時を持ちました。「主を待ち望む者は・・・・」と賛美しながら、上郡さんの顔をちらっと見ますと、口を動かして、うれしそうに賛美していたのです。 それをみて、また私の方が恵まれてしまいました。

心臓手術が失敗して、体が動かなくなり、ベットから自分で出る事はできません。好きなときに、好きな所に行けず、好きな物を自由に買って、食べる事もできません。しかし、ベットの上で、神様を賛美している。その唇が証していました。上郡さんは、確かに主と共にいる。主イエス様も上郡さんと共にいてくださっているインマヌエルなるお方なのだと。

上郡さんは、その姿を通して、良い証をしてくださいました。上郡さんを励ましに行くつもりが、こちらが励まされ、私の信仰が新しく引き上げられたのです。

エリサベツと共に礼拝したマリア
 
1:39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
1:40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
1:41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。

マリアは、御使いから素晴らし証を聞きましたので、ザカリヤの妻エリサベツに会いに行きました。
すると、本当にお腹が大きくなっており、その子がエリサベツの体内で動いていたのです。
そして、マリアはエリサベツから、大声で励まされていきます。

1:42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」

その言葉に、励まされたマリアは、主を賛美し始めて、自分への神様の計画、その全てを受け入れたのです。

1:46 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、
1:47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
1:48 この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。

1:56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。

幼いマリヤは3ヶ月間、信仰の熟練者、年老いたエリサベツと一緒に生活して、
共に祈り、共に賛美し、共に神様の素晴らしい救いの計画を味わい、分かちあった事でしょう。
また、ナザレの町に帰って行くに当たり、処女に子供が授かった事に対する、無理解、誤解、中傷などが予測される中にあって、それらの事を乗り越えていく事ができるようにとの励ましもあったに違いありません。

ヘブル10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。

狩りをするライオンは、群れか逃げ遅れた一匹の動物を狙います。誰もが、この苦難と誘惑の多い世の中で、1人だけで、信仰を保つ事はできません。ですから、教会があり、共に集まり礼拝し、共に励ましあうのです。来週のクリスマス礼拝も、共に集まり、主イエス様を礼拝してまいりましょう。祈ります。


 

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