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(2019-08-25の週報より)

「披露宴への招待」

  

 

講師 東大阪エリムキリスト教会 牧師 竹腰明人師

 

テーマ『披露宴への招待』

聖句  招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。 (マタイ22:14)

聖書箇所=マタイ22114

最初に確認しておきましょう。今回のメッセージでは、王を天の「父なる神様」、王の息子を「神の子イエス様」、披露宴を「天国」、招待状を「福音」(喜びの知らせ:天国への招き)と置き換えて考えてみます。

 

一、招待を断った者たち  (マタイ22:1―8節を読んでみましょう。)

当時の披露宴は人生最大のイベントでした。例えば、村の青年が披露宴を開いた場合、家族や友人だけではなく、近所の人たちも集まって、その結婚を共に喜び祝いました。招待状など出さなくても、自然と近所の人たちが集まって来たものです。もしも、近所に住んでいるのにもかかわらず、その披露宴に参列しない者がいたとするなら、冷たい人だと思われても仕方がありませんでした。

今日の例話は村の青年の披露宴ではなく、王子の披露宴です。しかも、王様から、わざわざ招待状が出され、丁寧に招かれているのです。けれども、招かれた人達は畑仕事や商売があるからという理由で、その招きを断ってしまったのです。確かに仕事も大切ですが、それはいつでも出来ます。しかし、披露宴は一生に一度の一大イベントです。しかも、王子の披露宴であり、そこに招かれる事は特別な恵みでした。それを断った者たちは、物事の優先事項が間違っていたのです。皆さんは、何を第一に大切に生きていますか?聖書がすすめる人生の優先順位は第一に神様、そして家族、次に仕事となります。自分の優先順位をもう一度見直してみましょう。正しい優先順位によって生きる者は、神の恵みと祝福を受取る者とされます。

さて、残された者たちは、王が遣わした しもべ たちを侮辱して殺してしまいました。その結果、王は怒り、軍隊を送り、その人殺しどもを殺して町を焼き払ってしまったのです。この例え話を聞く時、現代に生きる私たちは「なんと恐ろしい王なのだろうか?なんと冷酷な王なのだろうか?」と思いがちです。確かにそう思えますが、当時、この例話を聞いていた者たちは、王様の恐ろしさではなく、王様の招きを拒否し、その しもべ どもを殺してしまった者達の愚かさに注意が引かれた事でしょう。この例話は王の恐ろしさではなく、王の招きを断った者達の愚かさを示しているのです。天の父なる神様は、その愛するひとり子を十字架に与えるほどに私たちを愛し、私たちの罪を十字架によって取り除いて下さいました。イエス様の十字架と復活による救い、すなわち福音を信じる者は全ての罪がゆるされ、永遠の命が与えられ、天の御国へと招かれるのです。 いつか、この世は滅び、最後の審判の時が必ず来ます。ですから、いつか無くなる空しいこの世に心をうばわれてしまう様な、愚かな者とならず、何が第一に大切な事なのかを見極める者、神の国とその義を第一に求める者とされましょう。

二、礼服を断った者た

(マタイ22:9―14節を読んでみましょう。)王様は、しもべを大通りに行かせ、出会った人たちを皆、披露宴に招きました。しもべは良い人だけではなく、悪い人も含め出会った人をみんな集めました。王は悪い人も招かれたのです。神様は、どのような罪人であったとしても、その人を愛し、その人を天の御国へと招きたいと願っているお方であると分かります。王様は、一杯になった披露宴会場の様子を見に行きました。すると、1人だけ礼服を着ていない者に目が留まりました。そして、その人は披露宴会場にふさわしくない者とされ、追い出されてしまいました。この所も、現代の私たちが聞きますと、「なんと心の狭い王様なのだろう?」と思いがちですが、当時のイスラエルの人達が聞けば「なぜ、その人は礼服を着なかったのか?」その所に意識が向いたと思われます。

なぜなら、当時の結婚式では、招く側は食事を準備するだけではなく、礼服も用意しておいたと考えられているからです。王様は、礼服も準備して道行く人を披露宴に招いたのでしょう。だとするなら、礼服を着ていなかった者は、無料で貸し出される礼服を受取る事を拒否したのです。ですから、その披露宴会場から追い出されたとしても何の文句も言えません。王様は何一つ悪い事をされていないのです。神様は、愛なるお方ですから、どのような罪人であったとしても、天国へ招きたいと願われています。しかし、神様は聖なるお方でもあります。その聖なる神様は「罪」そのものを天国に招く事はなさいません。たった一つの罪、どんな小さな罪も見過ごす事はされません。その罪は、きよめられなければならないのです。神様はそのために、私たちの罪を全て、過去から現在、そして将来にわたって犯す全ての罪を十字架によってきよめて下さいました。現代の私たちが身にまとう礼服、義の衣、それはイエス・キリスト様です。イエス様を信じる者は、義と認められます。イエス様の義を身にまとった者、イエス様と同じような者、罪なき者と認めてくださるのです。招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないと聖書は語ります。神様は、全ての人を天国へと招いています。あなたも招かれています。しかし、全ての人が、その神様の招きに応答するのではありません。神様が与えてくださる義の衣を受取るか、または拒否するのか、その選択はあなたにかかっています。選ばれる者とは、神様が恵みとして与えてくださる神の義、イエス様による救いを受け取る者です。皆様が選ばれる者となって下さり、天の御国へと招かれるようお祈りいたします。

祈ります。

 

 

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