すべてのメッセージのタイトル一覧
(2019-03-24の週報より)

「苦難を忍ぶイエス」

  

主題=苦難を忍ぶイエス                 
    私たちを救うために、イエスは十字架にかかられた。
聖句=神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとり
   として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。     (ヨハネ3章16節)
聖書箇所=マルコ15章1ー41節
*今週は、キリストの苦しみを忍ぶ受難週です。イエスの生涯を、さらにその十字架の苦難を思いながら静かに一週間を過ごしましょう。
 イエスは、エルサレムで捕らえられ、裁判にかけられ、ついに十字架につけられてしまいます。その一つ一つの出来事には、人間の罪とイエスの苦難と共に、神の深いみこころがあります。それは、神の愛と、キリストの十字架による救いです。


一、イエスの裁判(マルコ15章1ー15節)


 イエスは、捕らえられ、そして、不当な裁判にかけられました。当時、ユダヤはローマ帝国の支配下にありましたが、ユダヤ人たちの法律も認められていました。しかし、イエスの裁判はそのいずれにも合法的ではなく法律を無視したものだったのです。
 イエスを捕らえると、ユダヤ人たちは、夜が更けているにもかかわらず議会を開きました。そしてなんと、イエスに『死刑』をいい渡したのです。イエスは何一つ罪を犯されなかったのに、ご自分が神の子でありキリストであることを認めたという理由で、それが真実であるにもかかわらず、死刑を押しつけられたのです。すべてが不当なやり方でした。
(14章53ー64節参照)
 また、夜明けとともに、総督ピラトのもとに連れて行かれ、そこで裁判を受けられました。訴えられた理由は、ローマに対する反逆罪ですがそれも陰謀でした。実は、宗教家たちのねたみから起こったことで、ピラトは、イエスを無罪にすべきであると考えていたのです。ピラトは、何とかして『無罪』にしようと努力したのですが、正しい裁判によってイエスを助けることはできませんでした。かえって、人殺しの大罪を犯したバラバを釈放し、まったく罪のないイエスを十字架につけることになったのです。人々の要求を受け入れなければ、自分の地位も危ないと思ったピラトは、保身のために大変なことをしてしまいました。


二、イエスの十字架(16ー32節)


 死刑を宣告されたイエスは、いばらの冠をかぶらせられ、紫の着物を着せられ、棒でつつかれたり、つばきをかけられたり、ののしりとあざけりの怒声の中を刑場に引かれていきました。
 十字架は、ローマ帝国の刑法で、残虐な犯罪に対する最も重い刑でした。木の十字架に釘で打ち付けられた手足の肉は裂け、血があふれ出ます。傷口は熱と破傷風で腫れ上がり、しまいには脱水状態になるという、人間の想像に絶する苦しいものなのです。イエスは、その苦しみばかりか、人々の口汚くののしるあざけりをも聞かなければなりませんでした。
イエスを取り囲んでいた人々の姿を想像すると、本当に恐ろしくなりますね。でも彼らの姿こそ、私たち自身の中にある罪の姿であることを知らなければなりません。


三、イエスの死(33−41節)


 イエスが十字架にかけられて三時間たった時、急に辺りが暗くなり、その状態が午後三時まで続きました。その間、
ずっと苦しみと痛みに耐えていらっしゃったのです。34節を読みましょう。イエスは、私たちの罪をすべてその身に負って、父なる神からさえ見捨てられました。苦しみと孤独の極限状態です。イエスの背負っている罪の重荷の大きさを感じます。そうして、ついにイエスは息を引き取られたのです。その時、神殿の幕が真っ二つに裂けるという、驚くべきことが起こりました。これは、イエスの十字架の贖いによって、神との和解(罪の赦しと永遠のいのち)への道が開かれたことを示しています。
 さて、この恐ろしい十字架の周りを取り囲んでいた人々に目を留めて見ましょう。
第一は、十字架を目撃していながら、まったくその意味を理解しなかった群衆、第二は『この方は、まことに神の子であった』と、すべてを正しく冷静に見つめていたローマの百人隊長、第三は、イエスを愛し、従い、そして最後の息を引き取るまでそばにいた、マグダラのマリアをはじめとする婦人たちです。
 あなたは、自分の罪のためにイエスがこんなにも苦しまなければならなかった、ということについてどのように思いますか。これほどまでもあなたを愛して下さるイエスに、あなたはどのように応えるでしょうか。

聖書箇所を検索:マルコ福音書(結果はページ右に表示されます)
福音書の主な出来事を検索:十字架のイエスの死(結果はページ右に表示されます)



 

Copyright (c) 東大阪キリスト教会