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(2019-01-06の週報より)

「神を礼拝」

  

主題 神を礼拝する。          
    まことの神を礼拝する
聖句=私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。       (詩篇146篇2節a)
聖書箇所=Ⅱ歴代29章1−30、ヨハネ4章21、24節
                    
 新しい年、主と共に歩みましょう。そのために、何よりも大切なことは、まず神に礼拝を捧げることです。


一、主に聖別する(Ⅱ歴代29章1−19節)

 
 ヒゼキヤは紀元前716年、25歳で南王国ユダの王となりました。彼は、王国にあふれていた偶像を取り除き、真実の神礼拝を確立し、国家の改革を進めました。
 その頃、人々はまことの神をないがしろにし、そのまことの神を礼拝する場所であった神殿に、異教の神々を礼拝するために用いる物まで持ち込んでいました。このような時にヒゼキヤ王は、宮の修理をさせ、神に仕えるべき祭司やレビ人に『今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい』(5節)と命令しました。まことの神に背を向けて、邪悪な生活に日を過ごしていた祭司やレビ人たちに、まず自分自身をきよめ、神に自分をささげるように勧めたのです。パウロも、ローマ12章1、で『あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です』といっています。まことの礼拝はあなた自身を『神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげ』ることです。
 ヒゼキヤ王は、宮を修理してからまことの神を礼拝するのにふさわしくない物を宮から出してしまうように命じました。それで祭司たちは、宮にある汚れた物、偶像礼拝に使った物などを、全部捨ててしまいました(16節)。イエスも同じように、エルサレムの神殿にいた商売人を追い出して、宮をきよめられました。
 私たちの体は、神の宮(コリント6章19、)です。私たちの内にまことの神を礼拝するのにふさわしくないものがあるでしょうか。今それを全部捨てて、まことの神を礼拝しましょう。


二、主にいけにえをささげる(Ⅱ歴代29章20−24節)


 ヒゼキヤ王は、民を聖別し、神殿を、きよめただけではなく、神に背いていた罪をゆるしていただくために、いけにえの動物をささげました。礼拝する時には、罪の贖いと、主への献身を表すために、いけにえの動物を捧げることになっていたのですが、ヒゼキヤ王の前の王は、まことの神を礼拝せず、いけにえをささげることもしませんでした。そこで、ヒゼキヤは、町の指導者たちを集めて、主の宮に上り、主の祭壇の上でいけにえをささげたのです。
 私たちの罪は、動物のいけにえによって完全にゆるされることはありません。しかし、神の御子イエス・キリストが十字架にかかられた時、私たちの罪は完全にゆるされました。このイエス・キリストを信じる者
は、すべての罪をゆるされて、神の前にに出ることができます。罪のない完全なキリストが犠牲になってくださったので、私たちは、動物のいけにえをささげなくてもよいのです。ですから、私たちの魂と体をささげて礼拝しましょう。


三、主をほめたたえる。(Ⅱ歴代29章25−30、ヨハネ4章21、24節)


 ヒゼキヤ王は、人々がいけにえをささげて礼拝する時、主をほめたたえました。シンバル、琴、ラッパの演奏とともに、聖歌隊は、美しい歌声で主をほめたたえ、人々はひざをかがめて、主を礼拝しました。
 主イエスは、サマリヤの女と話された時『神は霊ですから、‥‥霊とまことによって礼拝しなければなりません』(ヨハネ4章24節)と言われました。神の霊に満たされ、神の真理によって心から礼拝するのです。
そのために、自分自身を主にささげ『霊とまこと』によって、主なる神をほめたたえましょう。
(祈りましょう)


 

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