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(2018-04-15の週報より)

「全能の神」

  

   神は臨在し、全知であり、全能のお方である。
 私は全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ.(創世17・1B)
聖書箇所 詩篇139篇1−12、イザヤ40・18ー26、


一、神の全知と遍在(詩篇139篇1−12)
『神』という言葉は、クリスチャンでない人の間でもよく使われる言葉です。その意味は、何か人間の力を
超えた超越した存在表すことが多いようです。罪に汚れた人間は、神を真に理解することはできませんが、
それでも漠然と理解しているように思えます。
 実際、神は超越したお方です。まず知識の面において、すべてのことを知っておられます。被造物、即ちお造りになった一つ一つの物、人間一人一人を知っておられるのです。どのように知っておられるのでしょうか。詩篇139篇の冒頭に『探る』ということばがあります。これは調査するという意味ですから、あなたも私も、神は、すっかり調べ上げて、奥深くまでしっておられるということになります。
 ではどんなことを知っておられるのでしょう。『座るのも、立つのも』両極端のことばを組み合わせて、生活、全体を表しますから、神は私たち一人一人の行動を、ことごとく見守り、ご存知だということです。
行いだけではありません。心の中の隠れた思いをも、それが言葉になる前から知っておられるのです。
 また、神は空間、場所にも制限されるお方ではないことを、詩篇作者は歌っていまし。7節の『あなたの御霊』『あなたの御前』は同じ意味で用いられています。神から離れて、いったいどこへ逃れるいやできない、ことができるのでしょうか?、と作者は言っています。上は天に上ったとしても、下は地下深く、死者が休息すると言われているよみにまで下ったとしても、そこに神はおられるのです。次に作者は『曙の翼をかって』、太陽の上ってくる東の果てに住むことを考えます。『海の果て』は、パレスチナでは海といえば
地中海を指し、西側にありますから西の果てを表します。地上を東西南北に行って地の果てに住んでも、力強い神の主権が認められ、作者を捕らえて離さないのです。上下に、東西南北に、遠くに逃れることを諦めて、闇によって見えなくされたいと思っても、何一つ神の目に隠れるものはなく、そこに神はおられるのです。


二、神の全能(イザヤ40・18ー26)
 神は、その力においても制限のあるお方ではありません。御意志のままにすべてのことをなし得るということですが、ご自身の道徳的性質に反することはなさいません。
 神の全能の現れとして創造があります。神はすべてを創造されました(21、26節)が、その被造物やご自身の造られた自然法則の束縛を受けません。通常はご自身の造られたものに干渉されませんが、傍観するのではなく、主権者、さばき主として、摂理のうちに歴史を支配しておられます(23、24節)。
 だれも神を造り出したものはいません。神は独立した方であり自ら存在されるお方です。偶像は、木や石
などの被造物を使って、被造物である人間が造ったものであり、これを拝むことはむなしいことなのです。
                                       (18−20節)
(祈りましょう)


 

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