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(2018-04-08の週報より)

「弟子のに現れたイエス」

  

 

 主題 弟子に現れたイエス             

    みことばを通して復活のキリストに出会う                       

 道道お話になっている時も、聖書を説明してくださったときも、私たちの心はうちに

燃えたではないか。 (ルカ24・32b

聖書箇所=ルカ2・13−35

一、エマオに行く道で(ルカ24・13−35)

 イエスが復活された日、二人の弟子がエルサレムからエマオに向かって歩いていました。約11kmの道

中、二人はイエスの十字架、その死、三日目のよみがえりについて熱心に論じ合っていました。彼らはイエスがイスラエルを救ってくださると期待していたのですが、イエスが死んでしまったので、絶望していました。彼らは、イエスが生き返られたという仲間の女たちの話にも半信半疑でした。心も足取りも重く、とぼとぼと歩いているともう一人の旅人が近寄ってきました。この旅人は彼らと共に歩みながら、彼らの話し会いに加わりました。二人は、この旅人がエルサレムであれほど話題になった出来事を知らないのに驚きながら、自分たちの救い主について話しました。するとこの道連れは、二人に『キリストは……苦しみを受けて

……栄光にはいる』(28節)という予言が成就したことや聖書全体の中からキリストに関してのことがらを説明し始めました。

二、イエスに気づいた弟子たち(28−35)

 エマオに近づいて、この道連れはなおも旅を続けそうな気配でしたが、二人は一緒に泊まるように勧めました。夕食が始まると、この人は二人にパンを割いて渡しました。その時、二人は、共に歩んだ旅人がイエスだったことに気がついたのです。はっとした途端に、イエスの姿は見えなくなりました。

 二人の弟子は道々話し合っていた時、どうして旅人がイエスだと気づかなかったのでしようか。また、イエスは、なぜ最初からご自分を明らかにされなかったのでしょうか。それは二人の『目はさえぎられて』

いたからです。イエスだと分からなかったのは、二人の心に疑いがあったからです。二人はそれほど絶望していました。二人にとって、イエスの復活は信じ難いことでした。ところが二人が『一緒にお泊り下さい』 と心から招いて中に入っていただき、食卓で交わりをした時『彼らの目が開かれ、イエスだとわかった』のです。(16ー31節)

 復活の主はこのように、あなたから招かれるのを待っていらっしゃいます。二人の目が開かれたのはどこでしたか。夕の食卓です。家庭の日常茶飯事の中で、霊的な信仰の目が開かれて、復活の主を見出し、交わり、日々共に歩んでいけるのは、なんと幸いなことでしょう。

 復活の主に気づいた二人の弟子は、エマオへの道中で自分たちの心の内に燃えるものを感じたことを思い出しました。復活のイエスは、このように、信じる人々のこころをもやし、じんせいに喜びと希望を与えてくださるのです。

 あなたは復活の主に出会っていますか。まだ出会っていないなら、心を開いて、イエスに中に入っていただきましょう。もしあなたが復活の主と出会っているなら、あなたは日々主と主と交わっていますか。あなたは心が燃えている生活を送っていますか。もしあなたがその体験をしていないなら、何かイエスと交わることを妨げているものがないか、今静かに心の内を探り、祈りましょう。

 

(祈りましょう)

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