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(2017-06-04の週報より)

「平和をつくる者」

  

 

  平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
                               (マタイ5章9節)
一、昔の人に言われたこと(マタイ5章21節)
 モーセの『十戒』の中に『殺してはならない』という戒めがあります。しかしその『十戒』には、
『人を殺す者はさばきを受けなければならない』ということばはついていません。このことばはどこから来たのでしょうか。律法学者やパリサイ人たちは、ユダヤ人の伝承から、こうした表現を受け継いだのでしょう。その結果、『十戒』の意味を弱めてしまいました。
『十戒』とそれに付随する律法が示しているのは、人を殺せば、死をもって償わなければならないということです。さばきであるには違いありません。けれども、旧約聖書はもっと率直に『殺人者は必ず殺さなければならない』という言い方をしています(民数記35章30節)。「さばき」という言い方で、人の判断の領域にもっていってしまったのです。それでは神のさばきという意味合いが弱められてしまいます。
二、この戒めが意味すること(22節)
 イエスは言われました。『兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません』
イエスは新しい戒めを与えられたのでしょうか。いいえ、そうではありません。ユダヤ人に与えられていた律法の本当の意味を説明しようとされたのです。律法学者やパリサイ人たちは、律法のことばをただ文字どうりに受け取り、それを表面的に守れば、神の前に正しいと考えていました。それに対して主は、律法のことばの表面的な理解ではなく、その精神が大切であるということを言われたのです。
 兄弟や友人に対して、腹を立て、憎しみの態度を表し、愚か者扱いをするならば、それは殺人と何も変わることなく、その人は、ゲヘナ(地獄・火の池)に投げ込まれると、非常に厳しい表現を用いられました。
確かに、警察による殺人犯の捜査においても、しばしば『殺意』や『殺害動機』の有無が決め手になります。
肉体の破壊だけが殺人ではなく、人の心や魂を壊そうと考えることも、同じなのだと言われているのです。
イエスの十字架によるゆるしがなければ、私たちはすべてゲヘナに落とされてしまうのではないでしょうか。
三、積極的な戒め(23−26節)
 これまでは『‥‥してはいけない』という消極的な戒めが述べられていましたが、主はさらに進んで積極的な戒めを与えておられます。神に向かって礼拝を捧げようとして、けれども、そこでだれかに恨まれていることを思い出したなら、どうするべきでしょうか?人を憎んではいけないということを教えられています。しかし、イエスは、さらに進んで、積極的にその人と仲直りするように努めなさい、と言われるのです。ある人と敵対関係にあることは、けっしてよいことではありません。まして、神を父として信じ、神の子供となり、信仰の家族に入れられている者どうしであるならば、反目したままでいるのは異常なことでしょう。
 相手を待つのではなく自分の方から和解を求める者となるようにと言われています。それはキリストご自身の姿でもあります。罪を犯した私たちをゆるし、神との和解を与えるために主の側から手を差し伸べてくださっているのです。
 (祈りましょう。)

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