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(2019-01-13の週報より)

「神にささげる」

  

主題 神にささげる                        
   神の働きのために喜んでささげる者を、神は愛してくださいます。 (Ⅱコリント9章7b )
聖書箇所=Ⅱコリント8、9章、ルカ21章1−4節
 今日は、献金を中心に、神にどのように仕えていくかを学びます。


一、神の恵みを知る(Ⅱコリント8章1−15節)


 使徒11・28節によるとクラウディオ帝(紀元41−54年在位)の始世に大飢饉が起こったことが分かります。そのために苦境に陥ったエルサレム教会のクリスチャンたちを援助するために、他の地方のクリスチャンたちは、お金を集めて送ることになりました。やがてマケドニヤ(現在のギリシャ北部)や他の地方の教会も協力するようになりました。ところがコリントの教会は、途中でやめてしまったようです。そこでパウロはコリントの教会に、献金とはどういうのものについて教えました。パウロは、初めにマケドニヤの教会(ピリピ、テサロニケ、ペレヤにある教会)がどのようににささげているかを説明しています。それによるとマケドニヤの教会は、キリスト教に反対する人々から激しい迫害に遭っている、とても貧しい教会であったようです。それなのに、人に命令されてではなく、自分から進んで、自分たちの力以上にささげているというのです。それは、この教会のクリスチャンには『満ちあふれる喜び』があったからだといいます。そして、そのことは、この人たちが『まず自分自身を主にささげ』ていたからだといっています。自分ではなく、神に喜んでもらうことを考て行動していたからこそ、パウロが考えていた以上のことを行うことができたのです。もし、私たちも神を見つめ、神に喜んでいただくために自分自身をささげて一生懸命に労するなら、自分の考えている以上のことができるのではないでしょうか。
 パウロは、コリントのクリスチャンにも、同じことを求めさらにイエスが私たちのために示してくださった模範に倣うよう勧めます。9節を読みましょう。


二、神の働きに参加する。(Ⅱコリント8章16ー24節)


 パウロは、ここで三人の働き人を紹介しています。その一人はテトスです。テトスは、コリントの教会で献金を集める
働きを始めた人物です(Ⅱコリント8・6、)。テトスは、コリントの教会の中で働き、コリントのクリスチャンたちに
よく知られていたと思われます。あとの二人の名前は記されていませんが、当時、多くの教会から信頼されていた人物のようです。パウロが献金を集めようとしているのは、イエスが素晴らしいお方であることが多くの人々に知られ、その名があがめられ、神の栄光が表れるためです。また、多くのクリスチャンがエルサレムの教会を愛し互いに、愛し合い、愛をもって仕え合っていることを示し、また示し合うためで、このためにコリントのクリスチャンたちが、この三人に協力して、喜んで犠牲を払うことを願っているのです。私たちが献金し、また奉仕する時、その姿を見て、多くの人がイエスの素晴らしさを知り、お互いが愛し合っていることの素晴らしさを感じるなら、それが本当の兼勤であり、ほうしなのです。


三、神への感謝にあふれる(Ⅱコリント9章、ルカ21・1−4節)


 パウロはさらに、献金を自ら進んで、感謝と喜びを持って行うように勧めます。(Ⅱコリント9・6、7節)。
 献金は、金額の多少ではなく、ささげる時の心が大切です。イエスはエルサレムの神殿で献金をしている人たちを見て、次のような話をされました。(ルカ21・1−4節参照)金持ちたちと貧しいやもめが出てきます。金持ちは大金をささげました。しかし、貧しい女の人はレプタ二枚をささげました。今日の日本のお金に換金すると幾らになるかわかりませんが当時のお金で最低の単位だったようです。でもイエスは『この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました』といわれました。なぜなら、皆は、有り余る中から献金したのに、この女の人は乏しい中から、持っていた生活費の全部を献金したからです。なぜ、生活費を全部ささげることができたのでしょう。それは、この人が、そうしたいと思うほどに喜びで満ちていたからです。さらに、そうしても、神は必要なものを与えてくださると信じていた信じていたからです。もっと言うならば、この女の人は、神が与えてくださるものを心から受け入れ、満足していたからです。そのような信仰をもって歩む人は、感謝にあふれた生活ができるのです。
(祈りましょう。)


 

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