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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:51:11 JST |
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イスラエルよ。あなたのうちに、聖絶のものがある。 あなたがたがその聖絶のものを、あなたがたのうちから除き去るまで敵の前に立つことはできない。 (ヨシュア記7章13節)
一、アイでの敗北( ヨシュア記 7章)
エリコとの戦いにおいて圧倒的勝利をおさめたヨシュアは、アイとの戦いにおいて偵察の者の願いを聞き入れて少数の兵を遣わしました。 ところがその結果は、思いもよらない敗北でした。 この敗北によって、『民の心がしなえ、水のようになった』(5節) だけではなく、指導者のヨシュアまで絶望のどん底にたたき落とされてしまったのです(6節)。
二、アカンの罪 主はひれ伏しているヨシュアに対して二度も『立て』と仰せられました(10、13節)。 このことは、ヨシュアとイスラエルにとって 『この時に必要なことは、祈りではなく行動であり、罪が残っている限り、祈りは何の意味もなく、またその答えを期待することはできない』。 主はイスラエルの罪を具体的に指摘されました。 それは、アカンが聖絶の物のいくらかを盗ったという罪です。
しかし聖書は、このことに関して二度も『イスラエルは罪を犯した』と教えています(1、11節)。 それは、このイスラエル人の戦いは個人戦ではなく、団体戦だからです。 スポーツにおいても、団体競技の勝敗は全員に責任があります。連帯責任は団体戦の宿命です。 教会の戦いは団体戦ですから、自分一人ぐらいは何をしても関係がないだろうというような考えは捨てなければなりません。 アカンはくじによって取り分けられました(16−18節)。 それは、敗北した原因である罪があばかれなければならないからです。 このようにして主はアカンの罪を摘発されたのでした。
三、アイの攻略(ヨシュア記8章−29節)
主はヨシュアに(ヨシュア記8章1、2節)と仰せられました。 イスラエルがアイとの戦いにおいて敗北したのは,アカンの罪であることは言うまでもありません。 しかしそれとともに、いかに戦うかという戦略を十分に練っていなかったこともあるのではないでしょうか。
私たちはヨシュア記の6章と7章において、戦いの勝利は人間の力によらず神に夜ということを学びました。 このようなことを言うと多くの人は「それでは人間の力はまったく関係がないのか」と思うかもしれません。 しかし、この8章では、勝利を得る為には人間の側でも最善を尽くさなければならないことが教えられます。 1)全力を尽くす=ヨシュアは前の時は敵をあなどり三千人だけしか遣わしませんでした が、今度は「戦う民全部と、アイに上って行く準備をし」ています(3節)。 2)綿密な計画を立てる=ヨシュアは,約3万五千人を伏兵として配置し、彼とほかの民 がおとりになって,そのすきに攻め込む作戦を立ててます(3-8、12 )。 3)模範的な指導をする=ヨシュアは,最初の夜は「民の中で」次の夜は「谷の中で夜を 過ごし」「民の先頭に立」つとともに、民と一体となって戦おうとしています (9、13、10)。 |