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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:44:24 JST |
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった 神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。 (使徒17章24節)
一、パウロの憤り(使徒17章16、17節)
パウロが訪れたアテネの町には壮大な神殿が建ち並び、さまざまな木や石で造った偶像だあふれていました。 アテネの人々の考えは、すべて人間中心であり、神々でさえ人間の造ったものでした。 また彼らは、人間ばかりではなく、思想や才能、芸術などをも神のようにあがめていました。
パウロはこのような有り様を見て心に憤りを感じました (16節)。 真の生ける唯一の神のために、この堕落した罪の状態を憤ったのです。 特に『知られない神に』とまで刻まれた祭壇を見つけた時には、彼らの偶像礼拝の哀れな限界を強く感じました (16節)。 次から次へと偶像を刻み続けても心の満足や確信はなく、まだほかにも神があるのではないかと、暗闇を手探りで歩くように捜し続け、ついに自分たちのまだ知らない神々があるかも知れないと『知られない神に』とまとめて刻むに至ったのでしょう。
パウロは、会堂で教え、広場に出て行っては、そこにいる人々に福音を伝えました。
二、アレオパゴスで語る。(使徒17章18−31節)
このようなパウロに対して、人々は二通りの反応を示しました。 18節を読みましょう。 『おしゃべり』というのは、アテネの俗語で、軽蔑を込めた言い方です。 一方、新しいもの好きの人々は『新しい教え』や『珍しいこと』(20節)を聞くために、パウロをアレオパゴスの議会に連れて行きました。 アレオパゴスの真ん中に立ったパウロは、アテネの文化人たちを相手に、公に福音を語ることになったのです。
説教の冒頭の言葉 (22節) は、痛烈な皮肉ともとれますが 『あなたがたの知らずに拝んでいるものを教えましょう』 と、パウロは人々の心をまずとらえてから、語り始めました。
*パウロの説教をまとめてみましょう。
第一に、真実の神はこの世界とその中にあるすべてのものをお造りになった方です (24節)。 とすれば人間が造ったお寺や神社に、神が住むことなどありえないことです。
第二に、真の神は与える方です (25節)。 人々は、神を大切に祭り、これに仕え、お供えをします。 しかし、すべてを造られたのは神で、神は何でも持っておられるのですから、人々のお供えなどいりません。
第三に、真の神は、全世界とすべての歴史を支配しておられます。 (26−29節)私たちも神の支配の中で生活しているのです。
第四に、真の神は私たちに、偶像を捨てて、本当の神を知ることを望んでおられます (30、31節)。 イエス・キリストが復活したのはそのためです。
三、人々の反応(使徒 17章 32−34節)
パウロの話を聞いて、人々はバカにして笑ったり『またこの次に聞こう』と言ったりして帰ってしまいました。 しかし中にはパウロに従ってクリスチャンになった人々もいたのでした。 |