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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:42:59 JST |
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれているのは愛です。 (1コリント13章13節)
一、最高の賜物 (1コリント13章1−3節)
1コリント13章−14章にかけて、御霊によって与えられるもの(賜物)について語られています。 そして、13章ではそれらの賜物を正しく用いるための土台である『愛』について書かれているのです。 ここでいう『愛』とは、ギリシャ語では 『アガベー』 となっており 『報いを期待せず、自分を犠牲にしてまで相手を愛する愛』 のことで神以外、誰もこの愛をもってはいません。 ですから、私たちにはこの愛はなく、神からの賜物として与えられない限り、私たちにはアガベーをもつことはできないのです。
さて1−3節には、愛がなければどんなすばらしい他の賜物 (能力)をもっていても意味がないと書かれています。 聖書をすみからすみまでよく知っていても、異言を語ったり、山を移すほどのの完全な信仰をもっていたとしても、他人のた めに慈善事業をしても、また、自分の命を投げ出したとしても、愛がなければ何の役にも立たないのです。 それほど愛はすばらしいものなのです。
二、愛の特徴(1コリント13章4−7節)
では、愛があるとどのような性質になるのでしょう。 4−7節の書いてあるとおりです。 ぜひ『愛』という所に、あなたの名前を入れて読んでみて下さい。 あなたは、愛の人でしょうか。 おそらく全部の人が、自分には愛がないことに気がつくと思います。 でもがっかりしないで下さい。 そういう愛のない罪人のために、イエスは十字架について下さったのです。 そのことを通じて、私たちに愛を表して下さったのです(1ヨハネ4章9、10 節)。 ですから、イエスの十字架の愛を信じ受入れる時、私たちもアガベーの愛が与えられます。
三、いつまでも残るもの(1コリント13章8−13節)
また、愛は決して絶えることがないと書かれてあります。 愛以外の賜物はみんな不完全です。 聖 書についての知識や、預言、異言などの賜物は神ご自身と神が私たちに何を求めておられるかを知り、神に従うための手段ですが、どのような手段を使ったとし ても、この世において神を知ることは鏡に映して見るようなもので、ぼんやりとしか見えないのです (当時の鏡はガラスで作られていなかったので、あまりよく映りませんでした) 私たちが神のもとに行き、神と顔と顔とを合わせて会うようになった時には、それらの賜物は必要なくなります。 それは、大人になれば子供の時必要だったものがいらなくなるのと同じです。 しかし、愛は神ご自身の御性質なのですからなくなることはないのです。
このように、愛することは最も大切ですばらしいことなのです。 最後に、これが神から与えられるものであることにもう一度注意しましょう。 自分で愛そうとしても失敗します。 神が私たちに愛する力を与えて下さるように、祈りましょう。 |