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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:42:25 JST |
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。 (1ペテロ2章2節) 一、生まれたばかりの乳飲み子のように(1ペテロ 2章2節)
ペテロは、1章23節で、クリスチャンとは神のことばによって新しく生まれた人であると説明しています。 私たちは、自分で自然に神を信じるようになったのではありません。 神の特別な導きの中でみことばを知る機会を与えられ、みことばを通して救いに導かれました。 みことばがなければ、私たちは、自分の中にある罪も、イエス・キリストの十字架による救いも、神のゆるしの恵みも知りません。しかも、本当にその意味を理解しなければ、救いを受け入れることはできないでしょう。 聖霊は神のみことばとともに働いて、私たちを新しく生まれ変わらせてくださったのです。 このことを受けて『生まれたばかりの乳飲み子のように』と言います。 けれども、私たちが赤ん坊のように幼いということを言おうとしているのではありません。 また、信仰的に未熟だということでもありません。 赤ちゃんが一心にお母さんの乳を吸っている様子を見たことがありますか。 生まれたばかりの赤ちゃんはすぐおなかをすかせます。 お母さんは夜中であっても何度も起きて、ミルクを与えなければなりません。 そうしなければ飢えてしまうのです。 ペテロはそういう乳飲み子の姿を例にとって説明しようとしています。
二、聖書は『純粋な、みことばの乳』(1ペテロ2章2節)
乳飲み子がミルクを慕い求めるように『純粋な、みことばの乳を』求めなさいと書かれています。 『純粋』とは、混ぜ物がないという意味と同時に、汚れや不完全さのないことを示しています。 間違った教えや偽りの考えではないということです。
聖書の教えには間違いはありません。 この教えに誠実に従って破滅の人生をたどった人はいません。 それはキリスト教会の二千年の歴史が証明しています。 このみことばには救いの恵みや永遠のいのちの約束とともに、今を生きるための正しい知恵と成長のための間違いのない教えが記されているのです。
三、成長し、救いを得るため(1ペテロ2章2−4節)
ペテロはなぜ聖書のみことばを慕い求めるように勧めるのでしょうか。 ペテロは言います。 『それによって成長し、救いを得るためです』 もし赤ちゃんが栄養を得られなければ、やがて瀕死の状態へと向かいます。 私たちの魂も同じだというのです。もしみことばによって養われなければ、魂の健康は次第に損なわれていくということです。 もちろん、成長もないでしょう。 そのままであれば、やがて救いの意味もわからなくなってしまいます。
ですから、神の救いの恵みといつくしみを何度も思い出さなければなりません。 ペテロは、私たちの『主のいつくしみ深さ』を味わった経験を確認するように勧めています。 それは本当に豊かな栄養のあるごちそうであったはずだと言っているのではないでしょうか。
私たちは『主のもとに来なさい』と命じられています。 私たちの霊的な成長のために、このお方の前に集まり、みことばを学び、祈る時がどうしても必要なのです。 |