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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:41:25 JST |
もし私たちが御霊によって生きるなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか (ガラテヤ5章25節)
一、肉の行い(ガラテヤ5章16−21節)
罪の原理が私たちを巧妙に、しかも執拗に誘惑して結ばせる実は何でしょう。 ここでは、その全てではなくガラテヤの人々が直面するものが列挙されたのでしょう。 これらを分類すると。
*第一の『不品行、汚れ、好色』は、神が定められた男女、および夫婦の秩序を混乱させる。
第二の『偶像礼拝、魔術』は偽りの礼拝であり、神に敵対する。
第三の『敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ』は利己主義により隣人愛を損ない、社会生活を破綻させる
第四の『酩酊、遊興』は、自制を知らない飲み食いにより自らを滅ぼすのです。(1コリント6章9、10節参照)
二、御霊の実(ガラテヤ5章22、23節)
果樹はそれにふさわしい実を結びますが、御霊は、ご自身にふさわしい実を結ばせます。 この場合『実(単数)』は、罪の原理がさまざまな分裂を産み出したのに対して、御霊の働きは一致をもたらすことを意図したのでしょう。 肉の行いと比較して分類するなら
*第一の『愛、喜び、平安』は、神は世を愛し、罪を除くために御子を遣わされたのであり、 神との正しい関係、即ち神を愛し、喜び神との平安をもつことから始まるのです。
第二の『寛容、親切、善意』は受けた損傷についての忍耐強さ、偽りのない奉仕など隣人に対する健全な態度と行い。
第三の『誠実、柔和、自制』は自己に関するもので、愛から始まるこの一覧表を閉じています。
三、勧め(ガラテヤ5章25、26節)
それではどうしたら御霊の実を結ぶことができるのでしょう。 それは私たちが御霊によって導かれて生活する事によってのみ可能なのです。 では御霊に導かれて生活するとは、具体的にはどういう生活のことなのでしょうか。 この問題をもう少し詳しく学んでみましょう。 第一に、聖書のみ言葉に従うことです。 あなたの心にいつもみ言葉があるならば、御霊はみ言葉を通して働き、あなたの歩みを導いて下さいます。 御霊に導かれるために次に大切なことは、祈りです。 祈る時、御霊が働き、肉の欲望に打ち勝つ力を与えて下さいます。 さらに、御霊の実を結ぶためには、私たちの側の意志と決断も必要です。 以上のように、私たちがみ言葉を蓄え、祈りによって力をいただき、み言葉に従う時、私たちは御霊に導かれて生活していると言うことができます。 そして御霊ご自身が私たち御霊の実を結ばせて下さるのです。 |