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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:36:38 JST |
『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます』 (マタイ6章33節)
一、地の宝と天の宝(マタイ6章19−24節)
まず、19−24節をよく読んで下さい。 この個所で一番大切なのは21節です。 人は、自分の宝、つまり最も大事にしているものに心を奪われるというのです。 あなたの宝は何でしょう。 お金、仕事、趣味、家族? 人それぞれだと思いますが、こういったものに心を奪われているうちは本当に神を愛することはできないのです。 24節に『だれでもふたりの主人に仕えるということはできません』と書いてあります。 神以外のこのようなものを愛することが、すなわち『自分の宝を地上にたくわえる』(19節)ことなのです。 そんなことはやめなさい、とイエスは言われます。 なぜなら、それらのものはいつかなくなってしまうからです。 そうではなく、神に自分の心をゆだねるようにしなさい、とイエスは勧めておられます。 神は決して裏切らず、変ることはありません。 またそのためには、常に神を捜し求める心が必要だ、とも言われています。 その心をイエスは『目』というたとえ (22、23節) でお語りになっています。 目がどこに向いているか、神か、やがて無くなってしまうこの世のものか、という意味です。 *(1テモテ6章9、10節)
二、心配してはいけない(マタイ6章25−34節)
続く個所で、イエスはさらにはっきりと神を捜し求めることを語られました。 33節を見てみましょう。 神に自分の心をゆだねるべきだ。 つまり神のみこころに従って生活することを第一にすべきだ、というところです。 そしてイエスは神以外のものに心を奪われている人々に、幾つかのたとえで語っておられます。 自分の命のことを心配して、食べ物や財産のことを考えている人には空の鳥を見なさいと言われます。 神は一羽の鳥さえちゃんと養って下さるのです。 その神がどうして私たちを養って下さらないことがあるでしょうか。 また体のことが心配で着物のことを考えている人には、野のゆりがどれほど見事に着飾っているかを見なさいとおっしゃいます。 栄華を極めたソロモン王でさえかなわなかったのですから。 これも神がして下さったのです。 このように、神は私たちに必要なものをすべてご存知なのです。 神の民であるあなた方が、神を知らない人々のように、自分のことだけを考えて、ああしようか、こうしようかと心配ばかりしているのです。 イエスは、そんな余計な心配は必要ない!とおっしゃいます。 そんなことに心を奪われているうちは、神に喜ばれることはできません。 34節に書かれているように余計な心配をやめ、一日一日神のみこころを求めながら与えられた務めを果たしていこうではありませんか。 そして、自分自身の心の置き場所を間違えないようにしましょう。 *(ヤコブ1章15節参照) |