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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:35:41 JST |
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 (マタイ5章44節)
神の支配を喜んで受け入れる者は、神を愛する者たちです。 『神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。 目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません』(1ヨハネ 4章20節)。 目に見える兄弟を隣人として愛することが、目に見えない神を愛することになるのです。 主イエスは、律法の戒めを 『あなたの神である主を愛せよ』と 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』 の二つにまとめられましたが(マタイ22章37−39節)。 実は、その両者は一体と見ておられる。 イエスの場合、愛の対象である隣人は 『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』(44節) と命じておられるように、自分たちに敵対する者たちにまで無条件無制限に広げられています。 有名な『よきサマリヤ人の例え」はその例証です。
一、自分の敵を自分の隣人ととして愛する (マタイ5章43−47節)
旧約聖書 (律法) では、隣人は区別され限定されていました。 自分に敵対する者は、あくまで『敵』であって『隣人』ではありません。 その意味で 『自分の隣人を愛し、敵を憎め』 と教えられてきた人々に 『しかし、わたしはあなたがたに言います』 と主イエスは権威をもって命じられます。 『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』と。 それに続けて 『それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです』(45節) と教えておられます。 イエスが隣人の対象を区別も限定もなさらなかったのは、父なる神が悪い人にも雨を降らせてくださる』 ように愛の対象を区別したり限定したりせず、誰をも等しく愛してくださるお方であることを、よく知っておられたからです。
二、完全でありなさい。(マタイ5章48節)
自分を愛してくれる者を愛することなら、罪人の代表のような取税人や異邦人でもしています(46、47節)。 『だから、(神の支配を受け入れている)あなたがたは、 天の父が(愛の対象を区別も限定もしないことにおいて) 完全なように、完全でありなさい』 といわれるのです (47節) 十字架と復活に福音において示された『天の父』の完全な愛を豊かに受け、その子とされた愛と喜びの経験が深まれば深まるほど、その人は天の父と主イエスとの御霊 (聖霊) に導かれて、自分の敵も隣人として愛せずにいられない思いに駆られるようになるのです。
三、良いサマリヤ人のように(ルカ10章25−37節)
律法の専門家が「では、わたしの隣人とは、だれのことですか」と質問しました。 それに答えて語られたのが良いサマリヤ人のたとえです。 強盗に襲われて倒れていたユダヤ人の商人を、通りかかった神に仕える身である祭司もレビ人も見過ごしにしました。 このユダヤ人を助けたのは、当時ユダヤ人とは対立関係にあったサマリヤ人でした。 敵をも隣人として愛したサマリヤ人のように、律法の専門家(また私たち一人一人)に、主は『あなた がたも行って同じようにしなさい』と命じておられます。 |