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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:34:30 JST |
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 (マタイ5章3節)
一、もし幸福が人間の最大の関心事であるなら。
人間は誰でも幸福でありたいと願っています。 イエスが宣べ伝えた神の国の福音は、その人間の願いに答えて、どういう人が幸福であるかを教える八つの宣言 (八福の教え) で始まります。 この八つの宣言は、感嘆文なので『幸いだ、(こう言う人) は』と訳すことができます。 『幸いだ(幸いである) 』は 『神に祝福されている』という意味であり人間の幸福は 『神に祝福されている』ことにほかならないのです。 神のかたちに創造された人間は神との交わりを失っては生きてはいけないのです。 イエスが神の国の福音を宣べ伝えられたのは人間を神の支配下に呼び戻して、失われた神との交わりを回復させるためなのです。 もし幸福が人間の最大の関心事であるなら、イエス・キリストを信じ、神の国(支配)を喜んで受け入れ、神との親密な交わりに導き入れられなければなりません
二、主イエスの教えられた幸せ(マタイ5章1−12節)
イエスは山に登り、弟子達の前に『幸せです!』と宣言なさいました。 イエスの言われる「幸せ」とはどういう人なのだろうと、弟子たちは思わず身を乗り出したことでしょう。 でもイエスのおことばがあまりにも意外なので驚いたのではないでしょうか。 3−12節を読んで下さい。 『貧しい』とは空っぽ、つまり何も持たない状態にあるという意味です。 何も持たない人がどうして幸せなのでしょう。 でも聖書が言う幸福な人とは、実は、自分の内には何もない、自分の力では人生の道のりを一歩も歩くことができない、自分は 貧しくてみじめな存在であると知っている人のことなのです。 自分の貧しさを神の恵みで満たしてくださいと主に叫ぶことのできる人こそ、本当に幸せな人であるとイエスは言われます。 自分の判断、自分の力で歩くのではなく、毎日毎日、神の判断を仰ぎ、力を頂きながら歩む人は幸いです。 主のご判断には誤りはないから、そして主は私たちの期待以上に、溢れるばかりに力を注いでくださるからです。 『悲 しむ人』は、神の前に自分の 罪を悲しむ人、『柔和な人』は、神のお心に素直に従う人、『義に飢え乾いている人』は、神の正しさを求める人、『平和をつくる人』は、神との平和を回復 し、周りの人との間に平和をつくり出す人、『義のために迫害されている人』は、キリストを信じているために苦しみにあっている人のことです。 神の前に謙遜に自分の醜い罪の姿を認めましょう。 そして悔い改めましょう。 主がありのままの私たちを愛し、ゆるし、受け入れてくださることを信じましょう。 幸福の第一歩はそこから始まるのです。 |