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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:33:49 JST |
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。 ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 (1ヨハネ4章9節)
一、愛は神から出ている(1ヨハネ4章7−11節)
「私は人を愛することができない」とよく聞かされます。 正直な告白です。 人間は、誰でも真実に他人を愛することはできないのです。 そのゆえに、互いに愛し合いましょう。 と言われても戸惑うだけです。
しかし、愛は神から出ていることが分かると、話はまったく別です。 神に愛されているゆえに、他の人々を愛することができる。 神から愛を受けているから隣人を愛することができるのです。 『愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちも互いに愛し合うべきです』(11節)。 この順序と関係が大切なのです。
二、愛は神の臨在を示す(1ヨハネ4章12−17節)
神を見た者はいません。 主イエスは『心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです』(マタイ5章8節) といわれました。 ヨハネは、いまだかって、だれも神を見た者はありません。 もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ神の愛が私たちのうちに全うされるのです』(12節) と説いています。 いづれも、『心がきよくあること』『互いに愛し合うこと』と、人間の在り方が問われています。 愛は神からでたものですが、その愛によって互いに愛し合うことが求められているのです。
愛し合うとき、神はそこに臨在されるのです。 『神は私たちのうちにおられ』 とは、一人一人のうちに住まわれる、とも読めるが、むしろ、愛し合うたちの間に臨在される、と解釈するのがよいでしょう。 神は聖徒の愛の交わりの中に臨在され、聖霊の働きによって、私たちはそのことを確信することができるのです。 それが、聖徒の交わりである教会の本当の姿なのです。
三、神は平安を与える(1ヨハネ4章18−21節)
『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します』(18節)。 人間の魂には、深い不安があります。 それは何に起因しているのでしょうか。 一つは、神のさばきです。罪を犯している人間は、刑罰を恐れています(18節)。 それは、死に直面したとき多くの人々が経験する深い恐れからも、推測できます。 もう一つは、人間の不信です。 互いに信頼できない人間は、他人から見捨てられることを恐れています。 彼の心を支配しているのは、愛ではなく不安と不信です。 しかし、神の絶対の愛に支配される時、それまで私たちの魂を捕らえていた不安と不信から解放され、平安と愛に満たされるようになります。 そして、そのゆえに、神を愛する者は兄弟をも愛するのです。 神が愛であることは、神の優れたご本質であると共に優れたクリスチャン倫理でもあります。 そこで、互いに愛し合いなさい、という勧めが繰り返し強調されるのです。 |