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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:26:02 JST |
そして、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。 (1ペテロ2章 24節)
一、イエスの裁判(ヨハネ19章1-16節)
ピラトは、イエスを連れて来たユダヤ人の指導者たちに、イエスが告発された理由を尋ねました (18章29節)。 ローマの法律では、正当な告発なしに裁判にかけることはできなかったからです。 ピラトは、当然イエスについてのうわさを耳にしていたでしょうし、イエスが政治的には無罪であり、ユダヤ人たちの宗教的のねたみと憎しみによって捕らえられたということに気づいていたのでしょう。 イエスの無罪を主張して、放免しようとしました。 しかし、ユダヤ人たちは『十字架につけろ』と叫んで譲りません。 ピラトは、イエスをむち打って釈放しようとしました (ルカ23章14-16参照)。 残酷なむち打ちの刑を見ればユダヤ人も満足するであろうし、自分も、イエスを死刑にするという責任から逃れられると思ったのでしょう。 しかし、暴動が起こることを恐れ、まず自分の身の安全を第一とする臆病なピラトは、ついにイエスを十字架につけることに同意しました。
二、イエスの十字架(ヨハネ19章 17-30節)
十字架は、最も極悪な犯罪者に対する刑でした。 自分がつけられる十字架を刑場まで運ぶこともこの刑の一部です。 イエスは、大勢の見物人の前を十字架を背負って歩かれました。 罪のないお方が、まさしく全人類の罪を一身に背負って、極悪人と同じ姿になり下がってくださったのです。 これが神が提供された救いの道です。イザヤは 『主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた』と預言しました。 イエスはまったく抵抗せず、すべての人に代わって罰を受けられたのです (イザヤ53章6、7 節) ヨハネは 24節でも 28節でも、イエスの十字架の死によって、聖書の預言が成就したことを記しています(詩篇22篇18節、69篇21節)。 イエスの十字架は、人類の救いのために、神が初めから計画しておられたことだったのです。 十字架の苦しみを想像することができますか。 その苦しみの中で、イエスが、自分を十字架につけた人々のために祈られたことも記録されています (ルカ23章34節)。 なんという大きな愛でしょう。 イエスは十字架の苦しみを退けることもおできになりました。 しかし、イエスはご自分に与えられた任務を全うして『完了した』と言われ息を引き取られました。
三、イエスの埋葬(ヨハネ19章31-42節)
兵士たちは、イエスが完全に息絶えておられることを確認しました。 36、37節にも、預言の成就があります (出 12章46節、ゼカ12章10節) 安息日に死体を十字架に残しておかないために、イエスと二人の犯罪人の体は十字架から下ろされました。
イエスを葬ったアリマタヤのヨセフとニコデモは、ユダヤ人の指導者でした。 それまでは、立場上ひそかにイエスを崇拝していた彼らは、イエスの壮絶な十字架の死を目の当たりにして、もはやその信仰を隠すことはできなかったのでしょう。 |
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最終更新日 ( 2007/01/25 木曜日 21:32:14 JST )
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