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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 16:25:47 JST |
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 (1ヨハネ1章7b)
一、罪人を招くために(ルカ5章 27〜32)
27、28節を読みましょう。 当時、ユダヤはローマ帝国の植民地になっていたので、ローマ政府に税金を納めなければなりませんでした。 住民から税金を取り立てる仕事を請け負っていたのが、ここに出てくる取税人です。 取税人は、ユダヤ人でありながらローマ人の手先であるといって嫌われていました。 取税人の中には、規定以上の金額を取り立てて私腹を肥やす者も多かったので、盗人扱いされていました。 その取税人の一人であるレビ(マタイ)がイエスに招かれて弟子になったのです。
裕福ではあるがけっして心が満たされているとは言えなかった彼は、イエスが目を留めてくださったことを喜んで、イエスを食事に招きました。 取税人の仲間や律法を守らないために『罪人』と呼ばれている人たちも同席しました。 それを見とがめる人たちがいました。 自分たちこそ敬虔な暮らしをしていると自負しているパリサイ人たちです。 30節を読みましょう。 彼らは、何とかしてイエスをやりこめようとしていたのです。 イエスの答えを読みましょう。 これこそ、神のひとり子イエスがこの世に来られた目的でした。 イエスが 『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来た』 と言われたのは、自分が罪人だと認める人だけが救われるということを意味しています。
二、罪を悔い改める(ローマ3章 19〜30 )
自分は絶対に罪を犯していない、という人がいます。 確かに、法を犯すようなことをしていない人は大勢います。 善人といわれ、世の人々のために貢献している人も数えきれません。 けれども聖書は『すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず』と書いてあります。 聖書の言う罪と、世の中で言う罪とは、何か違っているようですね。
警察の取り締まりの対象になる犯罪を刑法上の罪と言います。 これに対して、法に触れない道徳上の罪があります。 ローマ1章29〜31節を読みましょう。 これを見ると、すべての人が罪人であることがよくわかります。 聖書は、表面に現れた罪だけでなく、人の心に潜む罪の根を問題にしています。 すべての罪悪は、この罪の根から出ているのです。
罪は、神への不従順から始まりました。 罪の原因は、神を認めない自己中心に生き方です。 神を信じ、このような罪が自分にあることをまず認めて、神の前に悔い改め、ゆるしていただかなければ、罪から解放されることはないのです。
三、死から永遠のいのちへ(エペソ2章1〜3、ロマ 6章 23)
ローマ6章23節に『罪から来る報酬は死です』とあります。 何ときびしいことばでしょう。 私たちはよく「それくらい平気、平気」と言ってごまかしてしまうことがありますが、神は絶対に正しいお方なので決して罪を見過ごしにはされません。 しかし、同時に神は愛に満ち、あわれみ深いお方なので、私たちを助け出す方法を提供して下さいました。 それが、イエス・キリストです ルカ5章32節 このイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは、死を免れ、永遠のいのちを頂くことができます。 それはこの体がいつまでも死なない、ということではありません。 神にゆるされ、新しいいのちを頂いて、神と共に生きるということなのです。 ローマ6章23節を読みましょう。 |
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最終更新日 ( 2007/01/25 木曜日 00:38:14 JST )
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