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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 16:23:27 JST |
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。 (ヨハネ10章18節)
一、カヤパの不思議な発言(ヨハネ11章 47〜54節)
イエスがラザロをよみがえらせたことは、ユダヤ宗教指導者にとって最大の脅威となりました。 この奇跡を通して、多くのユダヤ人がイエスを信じたからです。 そこで彼らは議会を招集し、イエス暗殺の計画を立てるのです。
そうした議会の席で、その年の大祭司であるカヤパは 『あなたがたは全然何もわかっていない。 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない』 と言いました。 それは実に不思議な発言です。 カヤパは自分の発言の意味を充分に理解していたわけではなかったのでしょう。 『全然何もわかっていない』 ということばはそのままカヤパにも当てはまったと思われます。
とにかく、彼は、やがてイエスがすべての民の罪の身代わりとして十字架で神のさばきを受け、主を信じる者を滅びから救おうとされる、そのご計画について述べたのです。 聖書は、カヤパのことばを預言であると理解しています。
けれども、その意味を理解できなかったユダヤ人たちは、このカヤパの発言をイエス殺害の提案と受け止め、その計画を立てはじめました。
二、命を捨てるよい牧者(ヨハネ10章 11〜13節)
聖書の別のところで、イエスは、ご自分を牧者 (羊飼い) に例えられました。 羊の群れに絶えず心を配り、牧草地や水のある所に適切に導き、野獣の危険から守って育てる羊飼いの姿は、当時の理想的な姿を表していました(詩篇23篇参照)。 しかも主は『良い牧者』は羊のために命を捨てるとおっしゃったのです。 真の牧者でない『雇い人』は、自分の身を守ることだけを考え、おおかみが来ると、羊を置き去りにして逃げると言います。 おおかみは、悪魔の働きを示しているのでしょう。 そうした悪の働きが迫る時に、指導者の真価が問われます。
立派な意見を述べても責任をとらない人々がいます。 結局、その意見は自己主張にすぎないのです。 不都合が生じると、さっと身を引きます。 しかし、主は、罪人の私たちの身代わりとして神からのさばきを受け、ご自分の命を捨てることを決めておられたのです。
三、親しい関係(ヨハネ10章14〜18節)
信じる者のことを、神は初めから知っておられます。 しかも、信仰者も、イエスのことを親しく知っているということです。 それは歴史上の人物を学んで知っているというような単なる知識のことではありません。 自分の親を知るように、個人的な親しい関係をもって知っているということです。
こうした群れのために、イエスは命を捨て、また、よみがえることを示しておられました。 イエスと父なる神は思いのいっさいを一つにして、この救いのご計画を愛のうちに進めておられたのです。 |