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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 16:22:34 JST |
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。 この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。 (ゼカリヤ9章9節)
一、王の入城 (マルコ 11章1〜3節)
エルサレム近郊に着いたイエスは、弟子たちにロバの子を借りに行かせました。 それに乗ってエルサレムに入城なさるためです。
古代から王は、さまざまな時に自分の国をパレードします。 王として即位したことを祝う戴冠式の行進もあるし、戦いの勝利をした凱旋の行進もあります。 国を視察するための行進もイエスも同様に (いや、イエスこそ真の王として)行進しながら、ご自分の町・ご自分の民のところを回ろうとなさったのです(『すべてを見て回った』 11節)。
二、貧しい王(マルコ11章4〜 7 節)
しかしイエスの行進は、王にふさわしくない貧しさに溢れています。 何頭もの馬に引かせた戦車に乗ったり、軍馬にまたがったりするのではなく、ロバの子、それも「あとで返す」という約束してレンタルしたロバの子に乗って入城なさったのです。 ロバの背に敷かれたのは豪華な布ではなく、弟子の着古した上着でした。 お供するのは屈強な軍隊ではなく、わずかな弟子たちでした。 迎える民衆の側も、実は、エルサレムの住民はさほど多くはなくて、ガリラヤから(メシヤ像を誤解したまま)イエスについて来た『追っかけ』が中心で、エルサレムの住民は、田舎者が何を騒い でいるのかと思っていた様子もうかがえます。 威厳に満ちた王の行進というよりも、見たところピエロの行進のような道化じみたものであったでしょう。
三、真実の王(マルコ11章 8〜11節)
しかし、人の目には道化芝居のように見えたかもしれませんが、これこそ真の王の行進でした。 ロバは『主がお入用なのです』と言って借りたものです。 『主』とは『このロバの (本当の) 主人』という表現で、すべてののものの支配者であられる本当の主人は誰かという問いかけが、ここにあります。
さらにこの出来事は、旧約聖書の成就でした。 平行個所のマタイ21章5節では、ゼカリヤ9章9節のが引用されています。 また群衆の歓呼の声『ホサナ(お救いください)』は詩篇118篇25節にあります。 心ある者には、道化芝居のように見えるこの出来事が旧約聖書の成就であり、約束されたメシヤがついに自分たちのところに来られたと判断できることでした。
イエスは王として入城されました。 しかし、それはこの世の軍事力に政治、権力に基ずく王ではなく、平和の王であり、ご自身の死によって人間に救いを得させようと決意された王でした。 |
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最終更新日 ( 2007/01/24 水曜日 16:22:41 JST )
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