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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 16:21:44 JST |
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11章25節)
一、ラザロが死んで4日もたっていた(ヨハネ11章 1〜22節)
ベタニヤのマルタとマリヤ姉妹のことがルカ10章38節以下に出てきますが、姉妹にはラザロという兄弟がいました。 彼らをイエスは『愛しておられた』(5節)。 そのラザロが重い病気であると知らされても、すぐにはベタニヤには向かわず 『もう一度ユダヤに行こう』 と言ってベタニヤに着いた時は、死後4日もたっていました (17節)。 ラザロの死は厳然たる事実でした。 イエスを迎えに出たマルタとマリヤは、残念そうに 『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに』と言いました(21、32節)。 息を引き取る前なら助かっても、死んで4日もたったのではどうしょうもない、と思ったのも無理からぬことでした。
二、『わたしはよみがえりです。いのちです』(23 〜 27 節)
イエスは、マルタに向かって『あなたの兄弟はよみがえります』といわれました (23節)。 彼女が 「今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります」(22節) と言ったので、それに答えて特に言われたのです。 さらにマルタは 「私は終りの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております」 と答えるが (24節)、それは彼女の信仰が教理的知識だけ (頭だけ) のものであったことを示しています。 彼女の頭だけの信仰に挑戦するかのように、イエスは『25節、26節』と言われます。 この言葉を語られているのは、十字架に死んで葬られたが、三日目に死者の中からよみがえって、今も生きておられる (復活の主・いのちの主) です。 復活のイエスのいのちは、死を征服したいのち、まさに「死んでも生きる」いのちです。 この『いのち』をあなたは信じますか。
三、イエスが流された涙の秘密(ヨハネ11章28〜46節)
泣き悲しむマリヤを見てイエスも『涙を流された』(35節)。 そして 『霊の憤りを覚えながら』 墓に来ると、入り口の石を取りのけるように命じ、ためらうマルタに 『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る』 と言って、ラザロを生き返らせてくださいました (38〜44節)。 イエスが流された深い同情の涙には、死からいのちを取り戻して、神の栄光を表さずにはおかない決意と力が溢れています。 『よみがえりであり、いのちである』 お方として、イエスは、御自らの死をもって、死からいのちを取り戻してくださいます。 そのイエスが流される涙は、信じる者に罪の赦しと永遠のいのちを与え 『神の栄光を見る』 ようにさせる恵みと愛の力を無限に秘めているのです。 |