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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 16:20:31 JST |
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。 愛は神から出ているのです。 (1ヨハネ 4章 7節)
一、ヨハネが召される。(マルコ1章 19、20節)
イエスは、ガリラヤの漁師たちを弟子として召されました。 シモンとアンデレ、そしてヤコブとヨハネがそうです。 彼らが、ガリラヤの湖畔で網を繕っている時、イエスに招かれたのです。 すると彼らは 『父ゼベタイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスについて行った』 マタイ伝には 『彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った』(4章22節)とあります。 これは、ただ事実を記録しいるだけではなく、ここに霊的な意味があります。 舟や網は生活の手段を、父は家族をそれぞれ意味しています。 それらすべてを捨てて、イエスに従ったのです。 それは、主に従うという信仰の決断であり、単なる責任放棄ではありません。
二、ヨハネが憤る。(ルカ9章 51〜55節)
イエスは、ガリラヤで伝道した後、エルサレムに行かれます。 サマリヤを通って行かなければならなかったが、それはまた十字架への道であり、重い決断の旅でした。 その時『サマリヤ人はイエスを受け入れなかった』。 歓迎しなかったのです。 ヤコブとヨハネは憤って 『主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言ったのです。
イエスは、弟子たちによくニックネームをつけられましたが、 ヤコブとヨハネにはボアネルゲつまり「雷の子」という名を与えられたのでした(マルコ3章17節)。 性格が激しく、怒りやすかったためでしょう。 粗野で怒りやすかった彼らが、主イエスに従い、主と交わり、多くの苦難を経てゆくうちに、信仰と愛の人へと変えられたの です。 主イエスと交わるとき、私たちも変えられます。
三、ヨハネが信頼される。(ヨハネ19章 26、27節)
イエスは、十字架の上で苦しんでおられる時も、母マリヤのことを配慮されました。 自分の苦しみではなく、母親のことを思われたのです。 そこでそばに立っている愛する弟子を見ながら、マリヤに 『女の方、そこに、あなたの息子がいます』と言われました』 また、その弟子に 『そこに、あなたの母がいます』と言われました。 その時から、その弟子ヨハネは、マリヤを引き取り、実の母親のように仕えたのです。 なぜ、主イエスはヨハネにゆだねられたのでしょうか。 それは、彼の信仰と性格をよく知っておられ、信頼しておられたからです。 彼は主との交わりの中で、信仰と愛の人に変えられていたのです。 終生変わることなく、母親の面倒を見てくれることを知っておられたのです。 ヨハネは、その信頼にこたえて、終生マリヤの世話をしたのです。 ヨハネ福音書や手紙を読むと愛が繰り返し強調されています。 互いに愛し合うように勧められています。 彼は、その愛をもって、すべての人に仕えたのです。 私たちも、愛に生きる者になりましょう。 |