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作者 Administrator
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2007/01/24 水曜日 14:35:33 JST |
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★1章 1章は絶対の必要について神に叫び求めた婦人に関する章である。 彼女はそれは自分の特権であると感じて得るまで中止することを好まなかったことは 今日の神の経験を受けようと決心している人々にも同様の体験をするものである。 この章自身が一つの十分なる物語であって研究のための方法として次の如く分割する。
★分割 1.石女なるハンナ・・・・・1−5節 2.ハンナの悩み・・・・・・6−9節 3.ハンナの悲しみ・・・・・10節 4.突破する(破り込む)・・11−19節 5.サムエルの誕生・・・・・20節ー28節
1.石女(うまずめ)なるハンナ・・・・・1−5節 a.子供を産むことができないことはイスラエルの妻たちの恐れることであった。 それはモーセの律法よりほとんど呪いであった。出エジプト23,25,26 申命記7,14
b.聖書には石女であったイスラエルの婦人が数名記されている。 サラ・・・・・創世記11:30 リベカ・・・・創世記25:21 ラケル・・・・創世記29:31 マノアの妻・・士志記13:2
c.aのために5節は矛盾している如く見えるかもしれない。 故にイザヤ書55:8を応用しなければならない。故にイザヤ書55:8を応用しなければならない。 そして原理をこの中に発見する。神は主権者であって神のお約束がかくある間、石女が産める筈はないでしょう。 神の御目的成就のために、しばらくの間、石女の状態におかれる。
d.この研究においてbに述べている5人の石女の婦人およびハンナを憶えよ。いずれも神に用いられた子供を産んでいる。 1章のハンナの讃歌の2節には「うまずめは7人の子を産み」と記している。
e.イザヤ54の1の石女に対するお約束はガラテヤ書4:2に用いられている。 「喜べ不妊の女よ。声をあげて喜べ。産みの苦しみを知らない女よ、 ひとり者になっている女は多くの子を産み、その数は夫ある女の子らより多い」。
f.キリストの花嫁の明確な絵である雅歌は4:2、6:6に石女のないことを語っている。
g.うまずめの霊的応用。このような驚くべき状態が聖書歴史の中に記されていることは 明確な目的のためである事を私は強く悟っている。すなわち私たちを感動させ、奮起させるためである。
ハンナは多くの悩みで一杯となっていた。日本語で言えば「仕方がない」と 言うところだがイスラエル人なる彼女はそうは言わなかった。聖書に基づいた家系の妻は 「子を産むはずである」(それは胎の実と呼ばれた)ということを悟っていた。 他の言葉をもって言えば彼女はヘブルの婦人として神が予め定められたご計画の沿う役目を 果たさなかったということが考えられる。換言すれば彼女自身の幻ではなく聖言に基礎を置いた幻をもった。 今この質問に深く入ることはスペースが許さないが、この幻は「産みの苦しみ」の状態に彼女を落とし入れた。 外に驚くべき聖書の御言葉をコンコーダンスより探すべきである。ただここにイザヤ書66:7−8の引照を見よう。 特に8節「シオンは産みの苦しみをするや否や、この子を産んだ」。 最後にハンナの態度に関して (1)彼女は己の状態を認知していた。・・・石女 (2)モーセの律法における妻としての神の標準を認知していた。 (3)彼女は主の前に謙遜であった。主の前に泣いた。そして断食した。 親戚、また堕落した祭司の反対と迫害をも拒絶した。彼女は祈った。 (具体的に言い表されない限り。明確にこの事件のうちに神の御意のために祈った)。 年々続けて祈った。信仰の中に神のお約束を要求した。
2.ハンナの悩み・・・・・・6−9節
1章には「重荷」という言葉は見出されないが、これは確かに聖書の言葉である。 務めであることを感じて重荷を持ち、現在の状態に不満を感じ、どんな犠牲を払っても神の標準にまで進み、 成し遂げようとして重荷を感じる。重荷には2つの意味がある。 1つは罪に対してである。15:1「モアブにかかる重荷」(訳者の注・・・文語訳と英訳が一致するので文語訳を用いる。 口語訳には「託宣」と訳されている)17:1には「ダマスコに関わる重荷」ゼカリヤ書9:1、12:1、マラキ1:1。 そこには「主の言葉の重荷」と記されている。 私どもは言うであろう「日本の働きにおける霊の賜物の働きに対する重荷」あるいは 「日本の伝道されていない村に対する重荷」と。 1918年に私が日本の宣教師となって日本人クリスチャンが聖霊のバプテスマを受けるということは私の重荷であった。
★2課 1章1−17 更にこの課を旧約歴史面より深く考察する時、より以上の霊的真理と教訓を見出す。比較対照して、この研究を進めよう。
A祈り a.変化に富む祈り(祈りの多様性) 10節・・・・魂の深い悩みをもつ「とりなしの苦悩」の驚くべき記述。 15節・・・・明確な必要のために祈り続けることはとりなしの祈りの性質である(悲嘆に暮れる霊)
併し2章は大いに反している。2章1節に祈りと称せられているが、そこには驚くべき賛美と勝利の叫びが展開されている。
b.祈りの時の状態 1 祈りはしばしば泣くことがある。 2 真の祈りは、はっきりした目的を持つ。目的・・・「男の子」11節。 3 熱烈な祈りは誓いをする・・・・・・・・・・・・11節 4 真の祈りは永続して祈る・・・・・・・・・・・・12節 5 真の祈りは大きな声を制しない・・・・・・・・・13節 (ハンナは心のうちで語ったが唇も動いた) 6 効果ある祈り 「私は主の前に心を注ぎ出した」・・・・・・・15節
B.迫害に見る2つの種類 a.エルカナの未信者の妻ペニンナからの迫害・・・・・ 7節 同様に未信者の親戚より迫害を受ける。 b.堕落した祭司の迫害・・・・・・・・・・・・・・・1、14 これは恰もペンテコステの真理を悟り得ない信者から反対されることに似ている。 C.エリの息子の罪・・・・・2:12−17 a.邪悪な息子たち・・・12節 邪悪な人々を表す聖句を次に示そう。 申命記・・・・13。第1列王21:10−13 士志記・・・・19、22。第2コリント6:15。 以上の引照を見よ b.彼らは主を知らざりき・・・・12節(文語訳による) キリストにある真の信者はキリストの主要な知識を得ることよりも、 また物質的、肉体的に主に仕えることよりも更に「主を知ること」である。主を知ることは神に対する知識、 主の畏れを含む。主の畏れは生来のままなる性質を押さえることができる。
c.2:13−16に示されている如くエリの息子たちのモーセの律法の献物に対する統制に従わず自己本位な、 わがままな振る舞いを見よ。また16節には「力ずくで」すなわち無理にでもしようとしている。
d.17節・・・その罪は主の前に非常に大きかった。人々が「主の供え物を軽んじた」ことに起因する。
★3課 旧約には当時の神の人の記述があるが、その中にある言葉より多くの教訓を得ることができる。 次の言葉の中に示されている如くサムエルの幼年時代より意味ある教訓が得られる。
(1)1:27 祈りによって産まれた子供「私はこの子の為に祈った」 (2)1:28 母により神に献げられた子供「この子は一生の間、主にささげた者です」 (3)2:11 主に仕える子供 (4)2:18 祭司となるべく訓練された。出エジプト記28:4下半句と比較せよ。 (5)3: 1 堕落した祭司の前に忠実に仕えた。下半句にある「主の言葉はまれで黙示も常ではなかった」という句に注意せよ。 (6)3:19 サムエルは育っていった。主が彼と共におられた。 (7)3:21 サムエルの言葉は、あまねくイスラエルに及んだ。驚くべき真理が最後の句の中に見出される。 「主の言葉はサムエルに顕わされ、あまねくイスラエルに及んだ」。 第2にサムエルはイスラエルのすべての者に神の言葉を伝える責任を感じたことである。 換言すれば神の働き人は先ず個人的に神の黙示と真理を有していなければならない。 そうすれば教会に対し神の真理に十分に感動させることが出来る。
★2章におけるハンナの預言的賛美の歌にある句
(1)1節 「私の心」「私の力」「私の口」「喜ぶ」「強められた」「はりひらく」の3動詞を見よ。 ここに神を賛美する真の状態を見る。訳者の注「はりひらく」は文語体聖書による。「EXALT」には嘲笑うの意なし。
(2)2節 「礼拝の真の型の記述である。神に比べる事の出来る者は一つもない、を強調する3つの句。
(3)3節 神の知識。もろもろの行いは主によって量られる。
(4)5節 うまずめは7人の子を産み。うまずめ・・神の力により離れる。7・・神の能力による完全。
(5)6,7節 主権者たる神の力の顕示(主たること)
(6)8節 驚くべき神の救いの力
人間の状態 救いの聖業 a.「貧しい」・・ちり 立ち上がらせ b.乏しい(乞食)・・あくた 引き上げ
c.目的・・貧しいもの、乏しい者を王侯と共に座らせる。栄誉の位を継がせる。
(7)9節 a.神の力に守られる b.無力な人たちを御自身によって勝利を得させ
(8)10節 神を拒む者に避けられない必ず来る失敗と裁き。
★4課
(1)エリのよこしまな息子たち・・2章12節〜36節。 a.12節・・よこしまな理由「主を恐れなかった。」 b.14節・・犠牲するのではなく地位を利用してわがままに振る舞った。「祭司(エリの息子た ち)がみな自分のものとした。」 c.17節・・「この人々が主の供物を軽んじた」。神の働きは評判が悪くなった。 d.24節・・人々は神の人を罪に対して悪い風説を立てた。
(2)エリは預言により警告された・・・27節〜36節 a.警告された2点
(1)「KICK」英語の聖書には29節に「蹴る」という句がある。(訳者の注:口語訳より文語訳が、この句に近い訳をしているので次に記す) 「なんぞ、我が命ぜし犠牲と礼物を汝の家にてふみつくるや」「申命記22:15、使徒9:5(英文にはKICKの句がある。)」を見よ。
(2)「わたしよりも自分の子らを尊び」29節。第1に神、次に息子たち、しかしエリはこれを逆にした。 b.明確な裁きの預言(31節〜34節) 「年老いた者をなくするであろう」3回 (すべての息子は若いうちに死ぬ)31節から33節 「2人の息子は共に同じ日に死ぬであろう」34節。
c.忠実なる祭司を起こす約束。35〜36節 (1)その者の特性 イ.その人は私の心と思いとに従って行う。35節。 ロ.その人は私が油を注いだ者の前に常に歩む。 (2)エリの家の生き残っている親戚は、みな来て彼に1枚の銀と1個のパンを請い求める。(36節)
(3)サムエル神に呼ばれる 3章 A.先ずサムエル個人の関係の体験。
イ.サムエルは宮にいたので疑いなく神を知る者であったが、神に対する知識が神と共にある確信となることは出来ない。
ロ.一節の「黙示がなかった」また7節の「サムエルは、まだ主を知らず、主の言葉がまだ彼に現されていなかった」という言葉に注意せよ。
ハ.神はサムエルを呼んだ。それを悟るまでに3回、神の声を聞いた。神は彼に語られた。(4、6、8節、10節、4回目)
B.神はエリは望まんとしている裁きを啓示された。11節〜14節。 C.エリは神の言われた事を告げる様サムエルに要求15節〜18節。
(4)サムエルは予言者となるべく定められた。19節〜21節。 a.サムエルは育っていった・・・19節 b.神の予言者・・・イスラエルのすべての人は知った・・・20節。 c.神は言葉によってサムエルに御自身を顕示された・・・21節。
★5課 契約の箱 第1サムエルにおけるこの部は大切である。歴史的見地からばかりでなく来るべきことの前兆としての原理よりも重要である。 契約の箱が荒野の幕屋の器具の中でも最も重要なものであるかは皆さんは、ただちに理解するであろう。 出エジプト記にその説明が記されてあるので戻る必要がある。
X.次の復習を憶えよ 1.幕屋の器具についての詳細は次の如し。 a.契約の箱・・・25:10〜22 b.つくえ・・・・25:22〜30 c.燈台・・・・・25:31〜40 d.幕と横木・・・26章 e.祭壇・・・・・27:1〜21
2.材料については25章を見よ。 Y.契約の箱・・・復習。 a.構造・・・出エジプト記25:10〜11・・・アカシヤ材 純金で覆う。内・外とも覆い、金の飾りぶちを造る
b.名称・・・あかしの箱と呼ばれる。出エジプト記30:6、31:7、39:35、40:5、 40:20、40:21 契約の箱 民数記10:33、14:44.申命記10:8
c.働き 神が御自身の民と会われる場所。出エジプト記25:22、29:42〜43、30:6、30:36
d.特質 神を象徴する。
e.旧約全体を通して契約の箱を取り扱う態度によって人々の上に祝福かさばきのいずれかが、もたらされたことを知る。 故に契約の箱は神を顕わすものであった。特にヨシュア記において、この事が表されている。 神が導入すると約束されたカナンへ入る時、ヨシュアによって与えられた指図の中に見出す。 契約の箱の句はヨシュア記3章に10回、4章に7回、6章に8回、記されてある。これらの章のうち、特に次の点を憶えよ。
a.3:3 「主の契約の箱を書き上げるのを見るならば、あなた方はそのところを出立して、その後に従わなければならない。 即ち契約の箱に従うこと、それによって導かれることである。
b.3:4 「そうすれば、あなた方は行くべき道を知ることが出来るであろう・・・ しかし、あなた方と箱との間にはおよそ2000キュビットの距離をおかなければならない」。
さて現在研究している4章より7章までにおける契約の箱の歴史について次の如く研究しよう。
A 契約の箱は、これらの章に36回記されている。それらを見出して印をつけよ。 それによって更に深い悟りを得るであろう。今日の教会時代において契約の箱は聖霊を顕わすものとの明確な悟りを得ている。
B 4章より7章までにある契約の箱の歴史を挙げよう。 (1)イスラエル人がペリシテ人との戦いに敗れた時、契約の箱が陣営に携えてこられた4:1−5 2.箱がペリシテ人との戦いに失われた 「神の箱は奪われた」という言葉を憶えよ。「11,17,19,21,22」の各節。 (中世暗黒時代の教会には聖霊のバプテスマの真理は失われていた。換言すれば聖書の標準より落ちて堕落とか不信仰の霊によって奪われていた。) 3.5章6節にはダゴンの偶像のかたわらに契約の箱が運び込まれたが、 なぜ次の日ダゴンがうつむきに倒れていたか注意して読みなさい。彼らは、またダゴンを起こしておいたが、 次の朝また主の箱の前にうつむきに倒れてダゴンの頭と両手は切り離され、胴体だけ残った。 ここにキリストの真の信者の身体における聖霊の力を見る。 契約の箱の力・・・聖霊 (何故なら信者が続いて聖霊の力によって歩むことができるように堕落させようとする悪の力から守る。) 偶像を拝む霊は残ることが出来ない。
4.箱はアシドドに行き、エクロンの人々に滅亡をもたらす。
5.ペリシテ人は契約の箱により滅亡のもたらされたことを認め、イスラエル人に変換することを求める。6:1−18
6.ベテシメシの人々は主の箱の中を見たため70人が死んだ。(英語の聖書には5万700人とある)6:19−21
7.箱はアビナダブの家に携えられる。7:1−17 「その子エレアザルを聖別して主の箱を守らせた」(1節) 「イスラエルの全家は主を慕って嘆いた」(2節) 「ほかの神々をあなた方の内から捨て去れ」(3節) 「心を主に向け、主にのみ仕えなければならない」(3節) 「サムエルは彼のために祈るためミヅバに集まり、断食して告白した。(6節)
この章は真のリバイバルは如何にして成立するかを示しているものとして詳細に研究すべきである。 再びペリシテ人はイスラエルに向かって戦おうとしてきたが大いなる雷はペリシテ人の上にとどろかせて彼らを乱された(10節)。 そしてイスラエルから取った全ての町を回復された。
6課 8章イスラエルは王を立てることを求む
この章は非常に慎重に読み、また研究する必要がある。ここには霊的出来事に関する非常に明確な原理が含まれている。
(1)神政政治より王権政治への変遷の書であると称せられている。即ちイスラエルは統治の変わることを要求し、 それが実現したのである。王権政治を望んだことは、神の選ばれたモーセ、ヨシュアの如き神の器、或いは指導者によって直接、 神の統治の下にあったことを意味する。また士志記には様々の人々が、この目的の為に神の霊によって立てられた。 神は御自身、敵よりイスラエルを救いたもうた。 第1サムエルは3人の人物について特に記す。サムエル、サウル、ダビデの3人について、その立場を次の如く説明す。
サムエルは最後の士師であった。彼は予言者の立場より始められたので、或る人は予言者と考える。 サウルはイスラエルの最初の王である(8章〜15章) ダビデはイスラエルにかつてなかった程の偉大な王であった。(16章〜31章)
(2)8章の分割 イスラエルは王を立てることを要求する。
(1)長老たちサムエルに相談する。(1節〜4節) (2)サムエルは長老たちに王を立てることの誤りにつき語る。(5節〜18節) (3)イスラエルはサムエルの勧告を拒絶し「ほかの国のように」王を立てる。
a.次の事を憶えよ。
(1)サムエル 息子たちは父の道に従わなかった。(3節) 「子らは父の道を歩まないで利に向かい」「まいないをとり」「さばきを曲げる」以上の弱点に特に注意せよ。
(2)サムエルが祈りを重視したことを憶えよ。6節・・長老たちの要求を喜ばず祈らずしては答えなかった。 今ここに聖書学者の言葉を記そう。DR.KITTOの言葉。 「この要求は無知な迷わされた烏合の衆なる者によって叫ばれたのではなく、
思慮分別のある高位の長老たちの計画した慎重な要求であった。それは単なる衝動からでもなく長老たちの相談と熟考の結果の要求であった」。
彼らの要求について次の3つの事を憶えよ。
(1)外面的理由 a.彼らはサムエルの人物に不満を抱いたのではない。サムエルの人物に不満をいだいたのではない。 サムエルが高齢になったことである。4節には英語によると「THEN」という言葉に深く感ずる。 (訳者注:日本語は「その時」と訳されている。) b.息子たちの思わしくない品行の為、サムエル存命中に彼の承認によって王権政治の新しい基礎を造ろうと考えた。 注1:彼らは熟慮と審議によって計画された事であったが彼らの眼は神より離れていた。 このような要求は祈りの中に決して生じるものではない。彼らは祈祷会の代わりに委員会を開いた。 しばしば不信仰が委員の知恵のように美しく見せかける。
(2)内面的理由・・外の国のようになりたい希望(5節、20節) 彼らは神が「宝の民」(出エジプト記19:5)として選ばれたことを忘れた。 「あなたは私の『宝の民』となるであろう。」(申命記14:2、詩編5:4、詩編26:18)
(3)最も深い理由・・・神権政治の拒否 この点は7節の神の御返答の中に見られる。「彼らが捨てるのはあなたではなく、 私を捨てて彼らの上に私が王であることを認めないのである」。 イスラエル人は人間の王を求めたが、その如く、今日多くのクリスチャンがこの世の人々のように あることを望んで信仰を堕落させている。
結果:人々は「自決の権利」(自分で決める権利)を要求し、獲得した。 神権統治より王権政治に変遷したのは神のご希望にあらずして人間側であった。
観察:イスラエルの長老たちが人間の王を立てることを望んだ事について理解することが出来る。 西にはペリシテ人から東にはアンモン人が攻めて来る前兆があった(12:12)。 その心配を私どもは察することが出来る。イスラエルには指図する人が誰もなかったので周囲の外の如く 外面的威厳を熱望する事もよく分かった。頭たる王のない事を恥辱と思った。 しかし神の統治下にある特権と特別の選びの立場において人間の王を持つことは非常に悪いことであった。 民達が王を求めることの予想はモーセを通して神のお言葉があった(申命記17:14〜20)。 民達は穏やかな現在の統治を棄てて専横な人間の王を立てることを欲した。 サムエルは彼らの願望に対して厳粛に警告した(8:11〜20)。
★7課 9章サウル
分割 (1)1〜2・・・・・サウルの記述 (2)3〜14・・・・サムエルに会う理由 (3)15〜20・・・先見者としてのサムエル (4)21〜27・・・サムエル、サウルをもてなす
(1)1〜2・・・サウルの記事 a.ベニヤミンの人 x.ベニヤミン族に対するヤコブの預言は何か創世記49:27を見よ。 y.ベニヤミン族に約束された他の新約の人は誰であったか。あなたは分からないならば次の引照を読め。 z.サウルとYの答えの人物との性質を比較せよ。
b.キシの子・・・・・・・・・・・2節(裕福な人) c.若くて麗しく優れた人・・・・・2節 d.すべてのイスラエル人の中・・・2節 e.よい体格の持ち主(民の誰よりも肩から上、背が高かった)・・・2節
(2)3〜14・・・サムエルに会う理由 a.「偶然というものはない」 ローマ書8:28の御言葉の如く、神を愛する者には万事を益となるようにしてくださるのである。 サウルの父のロバがいなくなったことは偶然ではなく神の御計画の中にあったのである。 4:5節には、ロバを探すことについて5回言い表されてあり「見当たらない」という意味の言葉が 3回記述されていることは非常に深い御計画のあることを憶えよ。私どもが、まだ悟っていない先に、 神は御計画を持ち給う。すべての出来事および偶然も、ことごとく神の御計画である。
b.サウルと僕との会話・・・・5〜10 この会話の中にサウルの普通人としての生来の性格について十分な観察が与えられる。 また6節のサウルの僕の言葉によってサムエルがすでにイスラエル人に受け入れられていたことを そのよい評判によって知る。次の如し。
x.神の人 y.尊い人 z.言われることは皆その通りになります。7節のうちにサウルによって言い表わされた神と僕と に対する態度を見る「その人に何を贈ろうか」。僕は「私の手に4分の1シケル」の銀があります。 私はこれを神の人に与えて我々の道を示してもらいましょう」と答えた。 かかる態度は第2サムエル24:24。歴代志21:24におけるダビデの態度に見ることは出来ない。 牧師達は割引された安上がりの信仰のおそるべき罪について説教しなければならない。 救いはキリストの御宝血と条件なき恩恵によって価なくして受けたものであるが神の恩恵を受けた者は物質的献物によって 神に感謝を差し上げるべきである。第1コリント9,11のパウロが語るを見よ。
c.先見者・・・9,18,19の各節
この意味は預言者である。これは興味深い研究である。9節には「今の預言者は先見者と言われていた」 この言葉は真の預言者は何かについて明確な洞察を与える。先見者は実際に「見る」者である。 真の預言者は神との密接なる接触をもって神の道と真理の隠れていることを告げることである。 幻についても同様である。すなわち先見者の心の中の霊によって示された真理を見ることである。 教会にはこの先見者がなければならない。箴言29:18には「預言者がなければ民は滅びる」(訳者注:英語の聖書)と記されている。
d.先見者としてのサムエル・・・・15〜20 15節から17節まで注意して読め。この預言の中に神のお働きがある。 サウルは決してサムエルに会ったことはなく、サムエルも決してサウルに会ったことはなかった。 しかし神はサムエルの耳に告げた。(15節) サウルの尋ねて来ること。そのベニヤミン人なること。明日の今ごろ(16節)たずて来る理由等を告げられた。 即ちいなくなったロバについて、更にそのロバがすでに発見されていることさえも告げられた。 19節「私がその先見者です」との言葉を注意せよ。ローマ書11,13にパウロは「私の務めを光栄とし」と 述べているではありませんか。私どもは真の謙遜と偽りの謙遜について注意すべきである。
(4)21〜27・・・サムエル、サウルをもてなす。
a.21節・・・サウルの返事
これはサウルが元来、謙遜なる人物であることを証明している。 「私はイスラエルのうち最も小さい部族のベニヤミン人であって 私の一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものである。
b.サムエルのサウルに対するもてなし
サウルに対する誠実なもてなしと態度によって人は感動させられる。 サムエルには妬みの片影すらも見られなかった。今日、多くの神の働き人が傷つけられるのは妬みの為である。 そして多くの信者も他の人の妬みの故に悲しくも傷つけられることがある。 高い地位に上げることも低い地位に下げることも、すべて神のなし給うことであることを憶えよ。
★8課 10章 サムエル、イスラエルの王としてサウルに油を注ぐ
分割 (1)1〜8・・・・・サウルの油注ぎに起こった3つの印 (2)9〜16・・・・サムエルの預言の成就 (3)17〜27・・・ミヅパでくじによってサウルを選ぶ
(1)1〜8・・・サウルの油注ぎに起こった3つの印 a.油が頭に注がれたことは旧約の霊によってバプタイズされることを意味する。 油は霊、頭は神の御心と目的に全く降服する意味。
b.3つのしるしについての預言
第1のしるし・・・いなくなったロバの事を会う2人の人が告げる・・・2節 第2のしるし・・・子山羊とパンとぶどう酒を携えた3人に会う・・・・3,4節 第3のしるし・・・楽器を持った人々を先に行かせ、高い所から下りて来る預言者に会う・・5節
c.3のしるしの後、サウルに何が起こったかを注意せよ。 6節「主の霊があなたの上に激しく下る」 「あなたは彼らと一緒に預言し」「あなたは変わった新しい人になるでしょう」 新約にある聖霊の働きの真の状態を見出す。
d.6節のサウルの立場に関し、隠れている真理について強調いたしたい。 サウルは預言者の群れの中にいた時、神の霊と預言の霊によって勝利をした。 隠されている真理とは神の働き人たる者は教えたり説教したりする事ばかりでなく私ども自身の態度によって、 また霊によって、人々に影響を与える事である。ある人が心の準備なくして集会に臨んでいるのを見る。 恐らく彼らは失望しているかも知れないし不信仰の霊にもてなされているかも知れない。 しかし集会前にこれらの状態に勝利して準備していないなら、 たとえ一言も語らなくても不信仰の霊をばらまく。これは重要な原理であるから学生は十分に研究する必要がある。 何故なら彼らはいつも心の準備をすることを教わるからである。同様に信者たちが主にあって喜びを持ち、 勝利と賛美をもって礼拝に出席するならば、他の者は同じ霊を受けるであろう。 サウルは彼が出会った預言者の群れの雰囲気によって、彼もまた預言をしたのである。しかして彼は新しい人となった。
(2)9〜16・・・サムエルの預言の成就
a.これらのしるしは皆その日に起こった。ここにある教会に起こっている神の働きの標準を見る。 今日の働きに余り多く見ないからといって、それを持つことが不可能であるという論拠にはならない。 幾年か前、ペンテコステの働きの弱い時、異言を語ることは不可能であると言った。そして言い争った。 彼らの理論は「どこで異言を語っているか?」ということであった。 また神は今その方法で働いていないという理由も挙げた。しかし私どもはそれを受け入れることはできない。 他の理論は最初のペンテコステの時にだけ異言で語られたが現代には適用されないという。これは全く誤りである。 今日、全世界の各宗派のクリスチャンが異言を語る体験を受けている。 そして全ての信ずる者がこの体験を受けることは、もうそう遠くないことである。 預言、また預言者に関しても同様の原理を当てはめることが出来る。 なぜなら、それを持つはずはないという理論はないからである。これは神の御計画であり、新約の原理である。 注意深く次の御言葉を研究せよ。
預言について (1)預言することに関する預言・・・ヨエル2:28 使徒2:17にペンテコステの日に引用された。「あなたの息子たちは預言するであろう」。 (2) ローマ書12:6・・・「預言をし」 (3)第1コリント13:9・・・「預言するところも一部分に・・・」 (4)第1コリント14:49・・・「『預言することを熱心に求めよ』と命令されている。
b.多くの人々はとうてい真実に出来なかった多くの預言を聞いている為に、 預言する事を求めることに失望している。もし預言が偽りであれば、また預言がないと言うならば、 預言をまねることはない。すなわち偽りの預言のあることは、真実の預言のあることの証明であることを憶えよ。 他人の失敗により教わる。正しくない預言であっても如何なる預言の前にも心を整えることは明白に必要である。 預言者は単に神の言葉の通る管である。自身の考え、あるいは願望を語ってはならない。
(3)17節〜27節・・・サウルはミヅパでくじによって選ばれる。 a.サムエルはイスラエルの民達が他の国のように王を立てることの要求をなぜ喜ばないかについて理由を語った。 もう一度18節を読みなさい。王を立てたいと言うこの願いは実際は神が彼らの王となることを拒んだことである。 イスラエルの民達は神の最高の御意を拒んだに拘わらず、神は許容の御意を与える事を許された。 諸君はこの事を十分に理解せよ。神の完全な御意は最高にして最善である(ローマ12:1〜2) しかし人間が頑固であって神の最高よりも低い何物かを要求するならば 「許容の御意」をもって私どもを許される(詩編106、15を見よ)。 しかし神の御意は最善であって、それより低いものは如何なるものであっても十分ではない。
b.旧約において記されている「くじ」を用いることは非常に興味深いことである。 霊によって預言する事とある点において同じである。先ずベニヤミンの部族がくじに当たり、 次にマテリの氏族がくじに当たり、最後にキシの子サウルがくじに当たった。 私はこれを「二重の調査」という。これは神が如何に明確に間違いなく彼らの王としてサウルが 選ばれたかを全ての人の心に何の疑いも挟ませなかった。
c.さらにサウルの人格について憶えよ。 くじの行われている間、サウルは隠れていた。これは彼が謙遜であることの、もう一つのあらわれである。 しかし22節、23節を読むならば隠れても選びを妨げなかった事を悟る(何故?預言は証明している)。
d.26節(神に、その心を動かされた勇士たちも彼と共に行った)。 これは特別の節である。神が働かれる時、敵も妨げる為に用意されている。
27節はサウルに反対し軽蔑した。
★9課、11章、12章
11章 ヤベシ、ギレアデにおけるサウルの勝利
11章の1節および10章の最後の節を読む必要がある。10:27にはイスラエルの最初の王として 神の選ばれた者を如何に軽蔑したかが記されている。11:1にはアンモン人ハナシがサウルに敵対したことが記されている。 2節にはすべてのイスラエル人の右の目を抉り取るとさえ言っている。 神の働きに敵は常に新しい策略を持ってくる事を認める。敵の反対がいつもある。 故にあなたが、どれだけ迫害されたかによって神の働きに敵は常に新しい策略を持ってくる事を認める。 敵の反対がいつもある。故にあなたが、どれだけ迫害されたかによって神の働きの度合いを知ることができる。 もし、すべての事が常に感じよく行われ、少しの反対もないならば、それは神の働きに向かっていない。 更にサウルはナハシの敵対の故に人々が泣いているのを見た時、その理由を尋ねた(5節)。 人々の答えを聞いた時、神の霊が激しく臨んで彼の怒りは、はなはだしく燃えた。敵ナハシに対して戦うため全イスラエルを 集めて立ち上がらせ、多くの働きをした。神の働きをする時、他の者より独立して、独力で事をする危険が常にある。 聖言は明確に「互いに信頼しあう」ことを、あらゆる方法によって教えている。 ゆえに私(クート)は、毎月の教団親睦会の重要性を強調しているのである。各教会は他の教会が示した特別の必要のために 祈りの特権を有している。私どもは互いに必要である。どんな神様の僕、また牧師でも、単独で様々な敵の働きに対することは出来ない。 それぞれの牧師は、みな異なる方面において異なる賜物を持っている。キリストはヨハネ伝17章にある如く大いなる祈りをなされた。 特に21節を憶えよ。 「皆の者が一つとなるためであります。すなわち彼らをも私たちのうちにおらせるためであります」。 「わたしが一つであるように彼らも一つになるためであります」。この真理が信者、役者たちによく把握されている。 ならば神の働きに、ねたみ、競争は見られないでしょう。むしろ、この交わりとキリストにある一致は敵の誘惑に対して全体の力を発揮し、 すべての関係は強化されるであろう。
ナハシに対する勝利・・・11節 「生き残った者は、ちりぢりになって、ふたり一緒にいる者はなかった」。この如く 多くの者が殺される結果を得た。詩篇89:10の下半句「あなたの敵を力ある腕をもって散らされました」。
サムエルは王国を宣言する。・・・・12章 分割 (1)1節〜5節 高齢のサムエルの証詞 (2)6節〜11節 エジプトよりの救出の物語 (3)12節〜15節 王について神に要求する事の誤り (4)16節〜25節 主はサムエルの証しを雷と雨を降ろして尊ぶ
(1)1節〜5節 サムエルの証し a.誕生よりサムエルについて研究してきたが今や彼は高齢者となり髪は白くなった。 b.サムエルは罪の犯した覚えのない事を宣言している。この中に神の僕たる者の注意しておかねばならない点がある。 次の如く、サムエルには罪がなかった。
イ.誰のロバも牛も不法なことをして取らなかった。換言すれば個人的な必要のために強制しなかった。 助ける人々に良い影響を与えた。この点において役者は注意すべきである。
ロ.欺く、しえたげる。これも(イ)と同じく危険である。ある伝道者の話をしよう。 この伝道者は自己の貧困を証明する為に、すりきれ古びた靴をはいて特別集会に招かれている教会へ行った。 彼は家に立派な靴を持っていたが、同情を受けて新しいのを買うためであった。
ハ.まいないをとらない−「自分の目をくらます」
(2)6節〜11節 神の救出された物語 イスラエルに対し、神がエジプトより救出されたことについて語ったが、それは「神の言葉に従って」明確に人々を勧告した。
如何にして勧告されしか次の如し
a.民達にモーセとアロンを憶えさせた・・・6節 b.エジプトより如何にして救出されしかを憶えさせた。 c.彼らの堕落によってシセラの手に又ペリシテ人、モアブ王の手に渡された。 これらの名前と起こった事件をおぼえているか調べよ。 d.勧告・・・13節〜15節 「あなたの選んだ王」という言葉に注意せよ。神の最高の御意(ローマ書12:1〜2) に対してイスラエルは神の許容の御意(詩篇106:15) e.モーセ、ヨシュアの勧告とサムエルの勧告を幾度も比較せよ。ここに神の恩寵、 祝福を得る原理がある。もう一度調べよう。 x.もし、あなたが主を恐れ、〜仕え〜従う・・・この事が大切である。 y.従わないこと、反抗することは危険である。
(3)16節・・・25節(神はサムエルの証しを尊ぶ) a.サムエルが神の認められた予言者であるとして彼の言葉を確証された。 雷と雨を降らされた。サムエルが主に呼ばわったことを憶えよ。 呼ばわりに応じられた主、即ちサムエルは主と密接な関係を持っていた。 b.23節 サムエルは人々のため祈ることを約束した。祈ることをやめて主の前に罪を犯すことは決してしない。
「すしめ」 神を恐れる母の祈り、母の胎内にある中より、生まれ出た赤ん坊のサムエル、 母によって宮に献げられた子供のサムエル、また悪いエリの息子に囲まれたサムエルを今までに研究してきました。 彼の最初の悟り、と神との個人的関係について学んできました。 預言者としてのサムエル、今や年をとって神の共なる力を見るまでになったサムエル、 祈りの人としての彼、サムエルの歩んだ足跡と、その生涯を過ごして深い悟り、 教訓を受けられますように。
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最終更新日 ( 2007/01/24 水曜日 14:35:45 JST )
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