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わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。 (ヨハネ10章9節a) I am the gatt: whoever enters through me will be savcd.(John10 ;9a)
一、羊の門であるイエス(ヨハネ10章7、8節) イエスが宣教なさっていたパレスチナ地方では、羊の飼育が盛んに行われていました。 一ダース程度の羊は、子供でも世話をしたそうですし、プロ級の男の人であれば1千頭、1万頭の羊の世話をしていたと言われています。だからといって、この仕事が簡単だったわけではありません。 羊は、大変に迷いやすく、また弱い動物だったからです。番犬が見つけ出すことのできないほど遠くへ行ってしまったり、またハイエナや狐に襲われることもしばしばありました。それで羊飼いたちは、石垣などを積み上げて囲いを作り、夕方になるとその囲いの門から中に入れて、羊を危険から守りました。 イエスは、神から離れやすく罪の誘惑に弱い私たち人間をこの羊の群れにたとえ、ご自身こそ罪から私たちを守り、神にある平安な日々を約束する救いの道に導き入れる『門』だと言われたのです。 二、羊を滅ぼす盗人と強盗たち(ヨハネ10章8、10節)
ところで、羊の囲いの中に、門を通らずに、石垣を乗り越えて入ってくる人たちがいました。 盗人や強盗です。彼らは、自分が本物の羊飼いであるかのように油断させて近づき、羊を滅ぼしてしまうのです(10節)。 イエスは『わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です』と言われましたが、当時のパリサイ人や律法学者たちもこの羊泥棒のように、神の律法を間違って理解し、一生懸命 神に仕えていると自分たちは思っていても、結果的には、神の救いのご計画から人々を遠ざけ、滅びに向かわせていたのです。 今、私たちの住んでいる世界にも、偽りの教えを伝え歩いたり、自分こそが救い主だと名乗って人々を惑わす者がいます。本当の羊飼いの声を聞き分けて、間違った教えに惑わされることのないように気をつけましょう。 三、イエスこそ救いに至る唯一の道(ヨハネ10章9、10節)
9節を読み、もう一度イエスご自身の『あかし』を聞きましょう。イエスは、ご自身だけが、私たちが救いに入ることのできる『門』だと言っておられます。 『だれでも、わたしを通ってはいるなら救われます』ということは『わたしを通らなければ、だれも救いにはいることはできません』ということです。イエスはまたその『門』は、だれでも、くぐりたいと心から望む人を、安らかに出入りさせて、いつも豊かな牧草で養うとも言われます。羊の群れが、安心して門を出入りし、牧草で満ち足りている様子を想像して下さい。 イエスを信じる者は、恐怖や思い煩いに支配されず、霊的な喜びに満たされて、今も後も永遠に自由と平安が与えられると言って下さるのです。ですから、私たちがしなければならないことは、ただ一つ、救いに至る門であるイエスを信じることです。
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