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『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならい』 (出エジプト20章3節) You shaii have no other gods before me. (exodus 20 : 3 ) New International Version. 礼拝メッセージMP3
一、ほかの神々があってはならない。(出エジプト20章3節)
エジプトを出たイスラエルの民は、途中シナイ山で、指導者モーセを通して『十戒』を授けられます。(20章)その第一が、この三節です。こう言われるのは、イスラエルを『エジプトの国、奴隷の家から連れ出した』イスラエルの神、主である(2節))この方こそイスラエルの『唯一の神、主』であり、彼らには『ほかの神々があってはならない』もしあったとしたら、それは偶像(偽りの神)です。 こうして、イスラエルの民は、偶像を造ることも偶像を拝むことも、第二の戒めで厳しく禁じられました(4、5節)。 私たちキリスト者にとって、この『唯一の神、主』は、主イエス・キリストにおいて示された神にほかなりません。
二、偶像礼拝の罪(32章1−6節) モーセがシナイ山で40日過も過ごしている間に (24章18節) 山のふもとで待機していた民は、モーセが死んでしまったのではないかと不安になり(32章1節)、モーセに変わるものとして、アロンをも巻き込んで、集めた金の耳輪から鋳物の子牛を造ったのです(3、4節)。その子牛像は、神の現臨と力を表すものと考えられていたのでしょう。それでアロンは、その子牛像の前に祭壇を築き『あすは主への祭りである』(5節)といいました。 せっかく『十戒』を与えられ、偶像礼拝を厳しく禁じられたばかりなのに、どうして偶像礼拝の罪を犯してしまったのか。目に見えるものに頼りたい気持ちが、どれほど深く人々の心の中に潜んでいるものか、そのことを深刻に考えさせられます。 三、モーセの懇願(32章7ー14節) 山の麓で起こっている偶像礼拝の罪について、主が山の上にいるモーセに伝え(7節 8節)、この『うなじのこわい民』に我慢がならず、燃え上がる怒りによって『わたしは彼らを絶ち滅ぼす』(9、10節)と言われました。しかし、モーセは主に懇願します。彼らを約束のもとにエジプトから導き出してくださった唯一のまことの神が、もし彼らを滅ぼすようなことがあったら、まことの神の名誉が約束不履行のゆえにけがされます。その必死の懇願に、神は『その民に下すと仰せられたわざわいを思い直された』(14節)。 モーセの懇願 (とりなし) は、主イエス・キリストのとりなしの予表と見なされます。 キリストの父である唯一のまことの神は、キリストにおいて、すべての人に救いを差し出しておられる恵み深い神なのです。 * 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(第一テモテ2章5節)
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