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御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめます。 (第一ヨハネ1章7節) ユダヤ人にとって過ぎ越しは最大の祭りであり、その意味は次のように説明されています。『それは主への過ぎ越しのいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ』(12章27節)。エジプトにはさばきを、 イスラエルには救いを意味する記念すべき時なのです。
一、過ぎ越しの必要(出エジプト11章)
モーセが,イスラエル民族を率いてエジプトから脱出することは、容易なことではありませんでした。エジプトの王パロの強い反対があったからです。それに対して、神は,自然災害や疫病をもって報いられましたが、それでもパロの態度は変りませんでした。そこで主は言われました『エジプトの国の初子は,王座の着くパロの初子から,ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子,それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ』(5節)。 『初子』は最初に生まれた子で、遺産を相続するだけではなく、最も愛される存在でもあります。その初子が殺されることは、最大のダメージでもあります。またそのことは、神のひとり子であるキリストの死をも暗示しています。人間のかたくなさが過ぎ越しを必要とするのです。
二、過ぎ越しの食事(出エジプト 12章) 第一は、羊をほふって食べることで、それは傷のない一歳の雄でなければならない。その肉を食べ、血は門柱とかもいに塗り付ける。それはしるしとなり、神のさばきはその家を過ぎ越す。それらはまた,子羊であるキリストの十字架と,その血による赦しを暗示しています。
第二は種を入れないパンを食べることで、七日間、種を入れないパンを食べました。それは、もともと急いで調理したためにパン種を十分に醗酵させてパンを作る暇がなかったためですが、やがて純粋な信仰と礼拝を意味するようになりました。 (第一コリント5章8節、参照)
三、過ぎ越しの食事(エペソ1章7節) すでに述べたように,過ぎ越しの意味がはつきりと説明されています、主なる神がエジプトを打った時、イスラエル人の家は,過ぎ越されて救われました。つまり、エジプトには滅亡、イスラエルには救いでした。それを,決定的に分けたのは羊の血であり、それによって神のさばきが過ぎ越されたのです。 イスラエル民族は,その過ぎ越しを永遠の記念として覚え、守り続けました。 私たち日本人は過去を水に流して未来に生きようとしますが、イスラエル民族は過去を覚えることによって将来に生きようとします。その典型的なものがこの過ぎ越しです。 神のさばきと救いをいつも思い起こすのです。また,この過ぎ越しは,キリストとその十字架を暗示しており、その意味の本当の実現はキリストの十字架のさばきと罪の赦しなのです。
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