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悪はどんな悪でも避けなさい。(第一テサロニケ 5章22節) Avoid every kind of evil. ( 1Thessalonians 5 :22 )
人間は強いようで弱い存在です。そのゆえにパウロは『悪はどんな悪でも避けなさい』と勧め、また『悪を憎み、善に親しみなさい』(ローマ12章9節)と諭しています。ロトはソドムの生活に染まり、繁栄を求めて身の破滅を招いたのでした。
一、悪の世界に住む(創世記13章11−13節) ロトは、豊かなヨルダンの低地を選びましたが、そこに住む『ソドムの人々はよこしまな者で、主に対して非常な罪人であった』そのために、最初はよかったが、次第に様々な問題に悩ませられるようになったことでしょう。コリントのクリスチャンたちは、繁栄していたが、世俗的な都市の人々の悪影響を受けていました。そのために教会の中に多くの問題が生じ苦しみました。それは現代の日本や世界においても同じです。 多くのクリスチヤンたちは、世俗的な社会の中で、いつの間にか信仰から離れ、霊的な生命と力とを失っています。 成熟し自立したものであれば、世俗化した悪の世界に住んでも、その悪い影響を受けることなく、その社会を浄化することができるでしょう。しかし、多くの人たちは、時流に押し流され、社会にのみ込まれ、ミイラ取りがミイラになってしまうのです。悪を避け、この世から聖別された者となることが大切なのです。 ソドムとゴモラが滅ぼされようとしていることを知った時、アブラハムは主なる神にいった。『あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に50人の正しい者がいるかもしれません』(創世記18章23、24節)彼は『そこには、右も左もわきまえない12万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか』(ヨナ4章11節)と言われて二ネベを惜しまれたあわれみの神のように、ソドムとゴモラを惜しんだのです。 『罪を憎んで人を憎まず』ということわざがあるが、彼は悪の世界に住む人々の救いのために必死の執り成しをしたのです。 私たちも、悪の世界に住むことを避けながらも、その世界に住む人たちの救いのために執り成しの祈りをささげ、彼らの救いのために必死の努力をしなければなりません。
二、悪の世界はさばかれる。(創世記19章1−29節) ロトはアブラハムと同じように、神の御使いを温かく迎え入れました(1−3節)。 その意味では、彼はアブラハムと変わることはありませんでした。しかし、その町に住んでいる人たちは違っていました。彼らは、家を取り囲み、ロトが温かく迎え入れた客を連れ出せと叫び、ロトの体を激しく押しつけて戸を破ろうとしました。 神は、ロトとその家族を外に連れ出し、ソドムとゴモラを硫黄の火で焼き尽くされました。ロトの妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまいました。私たちは、悪の世界に対する神のさばきの現実を軽く考えてはいけません。また悪の世界に引かれて振り返るようなはんぱな信仰や生き方に陥らないように注意しましょう。
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