|
作者 kyokai
|
|
2008/05/26 月曜日 10:05:07 JST |
|
主は正しく、正義を愛される。 (詩篇11篇7節) For the LORD is righteous, he loves justice; ( Psalm 11 : 7 ) 一、神は義である。(ヨシュア7章1節) アカンは聖絶のものの幾らかを取り、それを隠しましました。それは、アナ二 ヤとサッピラの場合と同じように(使徒5章㈵−11節)神を欺くことでした。 『そこで主の怒りがイスラエル人に向かって燃え上がった』(11節)。神を欺くこ とに怒られたのです。 神は義であって、虚偽を赦すことのできないのです。神が裁くのはけしからん という人もいるがむしろ神がさばかなければならない人間の罪のほうを問題にす るべきです。神は本質的に正しいお方で、罪と虚偽を見過ごしにできないのです。
二、神は真実である。(ヨシュア7章2−9節) アイを偵察した者たちは、民を全部行かせる必要はなく、2〜3000人で十分で す。と報告しました。そこでヨシュアは3000人を送って攻めました。ところが結 果は予想もしていなかった惨敗でした。そのため『民の心がしなえ、水のように なった』(5節)。 ヨシュアと長老たちは着物を裂き、地にひれ伏し、悔い改めま した。けれどもヨシュアは、なぜそのように敗北したのか、分からなかった』 (7、9節)。 それはイスラエルの隠れた罪に対する神のさばきでした。神は隠れた欺きの罪 を見逃さなかったのです。隠れた罪のある時、神の祝福はなく、神のさばきが あります。それが現実における敗北になったのです。私たちも、神の祝福を受け ようとするなら、隠れた罪を告白しなければなりません。
三、神は聖である。(ヨシュア7章10−26節) 主は、ヨシュアに言われました。『イスラエルは罪を犯した。彼らは、わたし が彼らに命じたわたしの契約を破り、盗み、偽って、それを自分たちのものの中 にいれさえした。 立て、民をきよめよ』(11−13節) ここで『民をきよめよ』といわれているが、具体的には聖絶のものをあなたが たのうちから除き去りなさいと命じられたのです。 ここで『聖絶のもの』とは、戦利品で主の宮に納めるべきもののことで(6章 24節)、それを彼らは盗み取って神を欺いていたのです。『民をきよめよ』とい われたことばには、それらを欺いた者たちと共に絶滅しなさいという意味も含ま れているのです。 神は聖であって、いっさいの虚偽を徹底的にさばかれるのです。 かみのさばきは厳しいが、それも神の聖なる御性質によるのです。 私たちも、隠れた罪を悔い改め、その思いと生活をきよめなければなりません。そうでないと、神 の祝福を失い神のさばきを受けるのです。
|
|
最終更新日 ( 2008/05/26 月曜日 10:20:35 JST )
|