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神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてください ました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 (第一ヨハネ4章9節)
This is how God showed his love among us: He sent his one and only Son[a] into the world that we might live through him. (1John 4 :9 ) 礼拝メッセージMP3
神は、人間の罪をさばかれるが、罪の中にいる人間を愛しておられます。その神の愛と、互いに 愛し合いなさい、という勧めはイエスによって説かれ、ヨハネによって強調されています。私た ちも、神に愛されているものとして互いに愛し合いましょう。
一、愛は神から出ている(㈵ヨハネ4章7−11節 ) 私は人を愛することができない。とよく聞かされます。正直な告白です。人間は誰でも真実に他人 を愛することはできないのです。そのゆえに互いに愛し合いましょう、と言われても戸惑うばかり です。 しかし、愛は神から出ていることが分かると、話はまったく別です。神に愛されているゆえに、他 人を愛することができる。神から愛を受けているので、隣人を愛することができるのです。『愛する 者たち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべき です』(11節)この順序と関係が大切です。
二、愛は神の臨在を示す(1ヨハネ4章12−17節) 神を見た者はいません。主イエスは『心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです』(マタイ5章8節)といわれました。 ヨハネは『いまだかって、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです』(12節)と説いています。いずれも『心がきよくあること』『互いに愛し合うこと』と人間の在り方が問われています。愛は神から出たものですが、その愛によって互いに愛し合うことが求められているのです。 愛し合うとき、神はそこに臨在されます。『神は私たちのうちにおられ』とは、一人一人のうちに住まわれる、とも読めますが、むしろ、愛し合う者たちの愛の間に臨在される、と解釈するほうがよいでしょう。神は、聖徒の交わりの中に臨在され、聖霊の働きによって、私たちはそのことを確信することができるのです。それが、聖徒の交わりである教会の本当の姿なのです。
三、愛は平安を与える。(㈵ヨハネ4章18−21節) 『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します』(18節)。人間の魂には深い不安があります。それは何に原因があるのでしょうか。一つには神のさばきです。罪を犯している人間は 刑罰を恐れています(18節)。それは死に直面したときに多くの人々が経験する深い恐れからも、推測できます。もう一つは、人間の不信です。互いに信頼できない人間は、他人から見捨てられることを恐れています。彼の心を支配しているものは、愛ではなく不信と不安です。 しかし、神の絶対の愛に支配される時、それまで私たちの魂を捕らえていた不安と不信から解放され、平安と愛に満たされるようになります。そして、そのゆえに、神を愛する者は兄弟をも愛することができるようになるのです。神が愛であることは、神の優れたご本質であるとともに優れたクリスチャン倫理でもあるのです。そこで『互いに愛し合いなさい』という勧めが繰り返し強調されているのです。
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