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心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 (マタイ5章3節)
Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven. ( Matthew 5 : 3 )
礼拝メッセージMP3 一、幸福とは(マタイ5章㈵−12節) この 山上の説教で,イエスは『幸いです』ということばを,九回も繰り返し語っておられます。『幸いです』が山上の説教のキーワードですがギリシャ語ではマカリオイ、へブル語ではアシュレイ。それは『祝福された者たち』の意味です。詩篇 第1篇は詩篇全体の序文と言われていますがそれも『幸いなことよ』ということばで始まっています。 そこで描かれている幸いな者とは悪者のはかりごとに歩まず,主の教えに生きている者のことで、神と共に歩み神に祝福されている者たちのことです。
一般に幸福という時、経済的に豊かで家庭的に恵まれていることをいいます。しかし山上の説教でいう幸福は、むしろそれらより逆で、貧しさや悲しみの中にあっても、神に祝福されていることなのです。
二、幸福な人たち(マタイ5章㈵−12節) ここで、幸いな者たちは大きく三つに分けられます。 第一は、『心の貧しい者』『悲しむ者』、『柔和な者』で、特に心の状態が強調されています,彼らは自分ではなく神に信頼し,悲しみの中にあっても他人を理解し、苦難の時にも耐え忍んでいる人たちのことなのです。 第二は、義に飢え渇いている者』『あわれみ深い者』心のきよい者』で特に神との関係が強調されています。神の義に飢え乾き、神の愛をもって人々に接し、神に対して二心のない者たちです。 第三は、『平和をつくる者』『義のために迫害されている者』『わたしのために、悪口雑言を言われたりする』者で、特に人との関係が強調されています。人々と平和に神とキリストのために真実に生きている者たちです。
三、幸福の理由(マタイ5章㈵−12節) なぜ幸いであるのか。イエスは幸いである理由を神の視点から語っています。 第一は、神の国を相続できることです。『天の御国はその人のものだからです』 その人は、神の国の民とされ,神の祝福のうちに生きるのです(3節、10節)。 第二は、神の子とされることです。『その人は神の子と呼ばれるからです』 その人は、神の子供と呼ばれ、神と共に生きるのです。(8節、9節) 第三は、神の祝福を受けることです(4節、6節)『その人は満ち足りるからです』 その人は、悲しみと苦しみの中にあっても,神の祝福に満ち溢れているのです。 (11節、12節) 本当の幸福は、地上における偶然の産物ではなく、神の祝福によってもたらされるのです。神に目を注ぐ時,本当の幸福がわかってくるのです。
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