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道々お話しになっている間も,聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。 (ルカ 24章 32節 )
"Were not our hearts burning within us while he talked with us on the road and opened the Scriptures to us?" ( luke 24 :32 ) 礼拝メッセージMP3
一、エマに行く道で(ルカ 24章13ー27節) イエスが復活された日、二人の弟子がエルサレムからエマオに向かって歩いていました。 約11Kmの道中、二人はイエスの十字架、その死、三日目のよみがえりについて熱心に論じ合っていました。彼らはイエスがイスラエルを救ってくださると期待していたのですが、イエスが死んでしまったので絶望していました。彼らは、イエスが生き返られたという仲間の女たちの話も半信半疑でした。心も足取りも重く,とぼとぼと歩いていると,もう一人の旅人が近寄って来ました。
この旅人は彼らの話し合いに加わりました。二人は,この旅人がエルサレムであれほど話題になった出来事を知らないのに驚きながら、自分たちの救い主について話しました。 するとこの道連れは 二人に『キリストは 苦しみを受けて 栄光にはいる』(26節) という預言が成就したことや聖書全体の中からキリストに関しての事柄を説明し始めました。
二、イエスに気づいた弟子たち(ルカ 24章 28ー35節)
エマオに近づいて、この道連れは,なおも旅を続けそうな気配でしたが、二人は一諸に泊まるように勧めました。夕食が始まると,この人は二人にパンを裂いて渡しました。その時、二人は,共に歩んだ旅人がイエスだったことに気がついたのです。はっとした途端に,イエスの姿は見えなくなりました。 二人の弟子は道々話し合っていた時、どうして旅人がイエスだと気づかなかったのでしょうか。
また、イエスは、二人に最初からご自分を明らかにされなかったのでしょうか。それは二人の『目はさえぎられて』(16節) いたからです。イエスだと分からなかったのは,二人の目に疑いがあったからです。二人はそれほど絶望していました。二人にとって、イエスの復活は信じ難いことでした。 ところが二人が『いっしょにお泊まりください』(29節) と心から招いて中に入っていただき食事で交わりをした時『彼らの目が開かれ、イエスだとわかった』(31節) のです。 復活の主はこのように、あなたから招かれるのを待っておられます二人の目が開かれたのはどこでしたか。夕の食卓です。家庭の日常茶飯事の中で,霊的な信仰の目が開かれて復活の主を見いだし,交わり、日々共に歩んでいけるのは、なんと幸いなことでしょう。復活の主に気づいた二人の弟子はエマオへの道中で自分たちの心の中に燃えるものを感じたことを思い出しました。復活のイエスは、このように、信じる人々の心を燃やし、人生に喜びと希望を与えてくださるのです。 あなたは復活の主に出会っていますか!まだ出会っていないなら,心を開いて、イエスに中に入はいっていただきましょう。 もしあなたが復活の主と出会っていないなら,あなたは日々、主と交わっていますか。あなたは心が燃えている生活を送っていますか。 もしあなたがその体験をしていないなら,何かイエスと交わることをさまたげるものがないか、今静かに心の内を探り,祈りましょう。
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