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(キリストは) 自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われま した。 (第1ペテロ 2章24節) His wounds you have been healed. (1 Peter 2 : 24 ) 礼拝メッセージMP3
一、十字架に向かう救い主(ルカ 23章26−32節)
イエスが十字架を負わされて刑場に向かう途中、ローマ兵は、おそらく祭りのためエルサレムに来ていてたまたまその場に居合わせたシモン (マルコ15章21節)、にイエスの代わりに十字架を背負わせました。この出会いをきっかけにシモンはイエスを信じる者となりました。 イエスは、泣きながら見守る女性たちに対しても『自分自身-----------のために泣きなさい』と語られました。 イエスの十字架は他人事ではなく、見守る私たち自身がどうするかが問われているのです。
二、十字架上のイエス(ルカ23章33−49節) 刑場では、刑を執行した兵士たち、一諸に十字架につけられた犯罪人、そして全体の管理に当たっていた百人隊長がそれぞれイエスとの出会いを経験しました。 イエスが兵士たちについて『彼らをお赦しください』と祈られた言葉、犯罪人の一人に対して『あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』と告げられた言葉、そして全体を見守っていた百人隊長の『この人は正しい方であった』という感想の言葉、これらの言葉は誰が聞いたのでしょうか、弟子たちはみな逃げ出してしまい、勇気を振るい起こして居合わせた人たちも『遠く離れ』(49節) た所にいました。 刑場の真ん中にいた誰かが聞いて、それを後日語ったとしか考えられません。兵士たちか、百人隊長か誰かがイエスを信じ、教会に加わった者がいるのです。
三、十字架から降ろされた救い主(ルカ 23章50−55節) やがて息を引き取られたイエスのお体を引き受け、丁寧に埋葬の手続きをしたのは、アリマタヤのヨセフでした。彼は議員でしたが、イエスの逮捕には同意していませんでした(50−53節、ヨハネ19章38節)。ニコデモも協力して埋葬に当たりました。 (ヨハネ19章39−42節) 彼らは、それまでイエスの人柄と教えに心を打たれていたが、自分たちの高い地位を考えて、もう一つ決断に移ることができなかったのでしょう。 しかし、イエスの死を目撃し、ガリラヤ出身の無名の弟子たちと比較して、地位ある自分たちにできることは何かと考えたとき、埋葬こそ自分たちの責任であると思い至り、ついに勇気を奮い起こして行動に出たのでしょう。 イエスは十字架で死なれた。その死と自分との関係を真剣に考えた人は、信仰に進み。救いを得ることができるのです。
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