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今はキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません、 (ローマ 8章1節 )
Therefore, there is now no condemnation for those are in Christ Jesus. ( Romans 8 : 1 )
一、イエスに仕他掛けられたわな(ヨハネ8章1−6節 a ) The trap which was set by a Jesus. (John 8 : 1 〜 6a) 宮で、民衆を教えておられたイエスのもとに、ユダヤの宗教指導者たちが、罪を犯した女を連れて来ました。そして、この女にどんな罰を与えたらよいかと尋ねました。もちろん、本気でイエスに指導してもらうつもりではありません。6節に記されているように、イエスが何と答えるかを試し、イエスをわなにかけようと思ったのです。 律法では、結婚していながらの男と性的な関係をもった女 (姦淫の罪) は石打にして殺すように命じています。ですから、もしイエスがこの女を赦せば、ユダヤの律法に逆らうことになります。だからといって、罪人の救いを語っているイエスが簡単に人殺しを勧めたら、民衆は怒るでしょう。それに、ローマに支配されているユダヤ人が勝手に死刑を決定すれば、ローマ政府に逆らうことになります。 結局、イエスがどう答えても反逆者として訴えられてしまうのです。何というひどい陰謀でしょうか
二、罪のない者はいない(ヨハネ8章6節 b ー9節) There is not the innocent person (John 8 : 6b〜 9 ) 6−9節を読みましょう。律法学者たちは、イエスが身をかがめて地面にものを書いていらっしゃるのは、質問に答えられなくて困っているためだと思っていました。それで得意になって、回答を迫りました。けれども身を起こしたイエスは、思いがけない発言をされたのです (7節)。 イエスを困らせたはずの彼らは、どんなに驚いたことでしょうか。彼らは、自分のことを律法の指導者として誇っていましたが、自分の人生を振り返ってみて一度も罪を犯したことがないと言い切ることはできなかったのです。 9節に、年長者から順に去って行ったと記されていますが、人生経験が長いほど、思い出す罪も多かったということかもしれません。 三、イエスのみが罪を赦される(ヨハネ8章10節、11節 ) Only Jesus can forgive a crime (John 8 : 10 〜 11 )
ところで、訴えた者たちが去った後に、ただ一人、訴えられた女だけがイエスのもとにとどまりました。さばきを覚悟していたのでしょうか。赦しを期待していたのでしょうか。どちらにしても、イエスのみもとに、ありのままの姿でとどまった彼女に、イエスは二度と罪を繰り返さないようにとの戒めを与え、罪を赦すと言って下さいました。彼女はこの恵みのみことばを、どれほど感謝して頂いたことでしょうか。 自分の罪に気づき、また罪を赦される機会を与えられながらもイエスのもとを去った宗教指導者たちと、イエスに赦されたこの女の人生とは、二つにはっきりと分かれてしまいました。永遠の滅びへの道と、イエスの十字架による永遠のいのちへの道です。私たちにも今、その二つの道が示されています。この女のように、自分のつみを認めてイエスの御前に立ち、心から罪を悔い改めて、イエスに赦していただきましょう。
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