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彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。(マタイ8章17節) Christ undertook our worry in the body and assumed our illness(Matthew 8 : 17 )
一、救い主に叫び続ける盲人(ルカ 18章35−39節) The blind person who continues crying to the Messiah. (Matthew 18 : 35〜39) イエスの一行がエリコの町に近づきました。12弟子はもちろん、イエスを慕う群衆がゾロゾロと後に続いています。にぎやかな行列の気配を感じた盲人は、いったい何事かと思いました。初めは単純な好奇心で人に尋ねましたが、イエスがイエスがお通りになると知らされたとたんに、彼は大声をあげたのです。37−39節を読みましょう。 どんなに止められても、イエスに出会えるこのチャンスを逃すことはできないという、盲人の必死の思いが伝わってきます。 彼は、今まで耳にしたイエスの教えや行動を通して、イエスこそ本当の救い主だと信じていたのです。人々が『ナザレのイエスがお通りになる』と知らせたのに対して『ダビデの子のイエスさま』と呼びかけていることからも、彼のイエスに対する真の信仰が分かります。
二、救い主の招きといやし(ルカ18章 40−43節)
Invitation and healing of the Messiah ( Luke 18 :40〜43 ) さて、盲人をご自身のもとに招かれたイエスは『何をしてほしいのか』と盲人に問いかけられました。盲人は即座に『目が見えるようになることです』と答えました (41節)。 私たち人間が道端の盲人をどんなに気の毒だと思っても、手助けできることには限りがあります。わずかの食糧や金銭でさえも、、持ち合わせていなければあげるこもできません。もちろん受ける立場の盲人もそれを承知していますから、今日は何か恵んでくれる人がいるだろうか、どのようにして命を支えられるのだろうかと、毎日毎日心細い思いで施しを求めていたことでしょう。 しかしイエスは、私たちの病も罪もすべて十字架で身に引き受けて下さったお方です。そしてイエスのもとに行く者が最も必要としているものを、与えることがおできになるお方なのです。 盲人は、イエスがそのようなお方であると信じていましたから、ためらわずに、彼にとっていちばん必要なものを求めたのです。 イエスは盲人の純粋な信仰に答え、みことばによって、その場で彼に光を与えて下さいました。 救い主イエスのうわさを聞いて以来、ひたすらイエスとの出会いを待ち望んでいた盲人にとって、それはどんなに大きな喜びだったことでしょう!
三、神をあがめてイエスに従う(ルカ 18章 43節) I worship God and follow Jesus (Luke 18 :43 )
目が開かれた彼は、心から神を賛美しました。そして、十字架にかかるための旅を続けられるイエスに従いました。 主イエスは私たちにも『わたしに何をしてほしいのか?』と問いかけて下さっています。今のあなたがいちばん望んでいるものは何でしょう。それはあなたの人生の中で、本当に何ものにも代えられないほど大切なものでしょうか。 この盲人は富や名誉ではなく、ただ、目が開かれることを願って、暗闇から救い出され、イエスに従いました。 そのように私たちも、霊の目が開かれて、罪の暗闇から救い出していただけるように、心からイエスに願い求めましょう。そして、永遠に消えることのない希望に満たされて、十字架のイエスの後に従っていきましょう。
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