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神のことばを余すことなく伝えるためです。 (コロサイ1章25節)
I have become its servant by the commission God gave me to present to you the word of God in its fullness— ( Colossians 1 : 25: ) 一、主の命令(マタイ 28章16−20節)
The order of Jesus Christ イエスは十字架で私たちの罪の身代わりとしてさばきをお受けになりました。また、三日後によみがえり私たちが死んでもそれで終わりではないことをお示しになりました(27章27ー28章15節を参照)。 こうして後、イエスは11人の弟子にガリラヤの山に登るようにお命じになりました。ここで弟子たちにご自身を現し『あらゆる国の人々を弟子としなさい』とおっしゃいました。それは具体的には『父、子、聖霊の御名よってバプテスマを授ける』ことであり、さらに、以前主が命じておられた『すべてのことを守るように 教えなさい』ということでした。 全世界に向かって福音を語りバプテスマを授け、そしてみことばに生きるように教えよということです。直接には弟子たちがこの命令を受けましたが、それは後のクリスチャンにも引き継がれることになりました。そしてイエスは、この使命に生きる私たちと共にいてくださるとおっしゃるのです。 二、教会に仕えて(コロサイ1章 25−27節)
Serve a church あとから使徒として加えられたパウロは『教会に仕える者』となったと語ります。それはみことばを余すことなく伝えるためでした。福音を伝える働きは、決して個人的な働きではありません。イエスに仕える者たち(使徒たち)の集まりである教会(キリストのからだ)を通してなされるのです (24節を見ましよう) ここで『奥義』(ミュステーリオン。英=ミステリー)という言葉が使われています。この「奥義」は隠されていました。ところが今やこの奥義が明らかにされました。それは、救い主イエスのことでした。 外国人であろうと誰であろうと、もしこのお方を信じるなら、その罪が赦され、永遠のいのちを得ることができるという『奥義』でした。また、神の子とされる栄光に満ちた希望があることが示されたということです。この『奥義』を伝えるために、私たちも教会を開拓し、その教会に仕え、教会の業として、その使命を果たすのです。(第一コリント15章51−58節 参照) 三、福音の使命(コロサイ1章28、29節) A mission of the Gospel
パウロはそうした『奥義』を知らされ、最早自分のためにだけしまっておくことはできませんでした。 そして彼の宣教は、当然『あらゆる人』に向かうものでした『知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです』と語ります。 その働きもまた、単にキリストの救いを宣べ伝えるというのだけではなく、救いを受けた人々が、ますますイエスが語られた教えに従って整えられることを目標としていました。 こうした働きには多くの戦いや労苦があります。自分の一時の感情や思いつきではできません。また、『知恵を尽くして』ということですから、ある程度の聖書知識や資質も問われるかも知れません。そして、それ以上に『自分のうちに力強く働くキリストの力』によってなす業であるということをパウロは語っています。
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