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作者 Administrator
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2007/01/23 火曜日 12:30:20 JST |
幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々 (詩篇119篇1節 ) 一、聞いて信じる人 この話は、キリストを信じた人と信じない人の違いを説く教えです。 と一般には理解されています。 それは、必ずしも誤りではありませんが、もともとの意味は、これまで語られたことばを聞いてそれを行うかどうかです。 ルカは、そのことをさらに強調して『主よ、主よ』と呼びながら、イエスのことばを行わない人に対してであると言います(ルカ6章46、49節)。 行う者となるためには、まずそれを信じなければなりません。 イエスとその話されたことばを心から信じるとき、初めて行う人となるのです。 信じることと行うことは、矛盾ではなく一致なのです。 二、聞いて行う人(マタイ 7章 24、25 節) イエスは、私のことばを聞いて行う人は 『岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます』と言われました。 岩の上に家を建てるとは『岩の上に土台を据えて』ルカ6;48)、家を建てることです。 つまり岩の上にしっかりと基礎をおいて家を建てるということです。 イエスが話されたことばをぼんやりと聞き流すのではなく、それを信じて行うことです。 イエスがこれらのことばを話されると 『群衆はその教えに驚いた』(28節) とあるように、イエスはこれらのことばをただ弟子だけではなく群衆にも語られたのであり、 群衆にも信じて行うように強く勧められたのです。行うことによって、話されたことばは生きて働き、その人の生き方は確固たるものとなってくるのです。 私たちも信じるとともに、行う者となりましょう。 三、聞いて行わない人(マタイ7章26、27 節) イエスは聞いて行わない人を『砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます』と言われました。 砂の上に家を建てるとは、ただ『土台なしで』(ルカ 6:49)家を建てた以上に、危険が強調された表現です 『砂上の楼閣』ということばがありますが、どのように立派な建物であっても、砂の上に建てられていたのではいざというときにはもろく崩れ去ってしまいます。 どんなに素晴しいイエスの教えも聞くだけで行わないならば、人生の危機や困難に遭うとき、すべてはもろく崩れ去ってしまうのです。 つまり、私たちが神のお言葉、聖書を、しっかりと人生の土台に据えていれば、どんな人生の嵐が訪れても倒れることはない、とイエスは言っておられるのです。 この1年も色々なことが起こることでしょう。 出来ることなら、何事もうまくいってほしいと思いますが、思いがけない出来事があるかもしれません。 でもイエスを信じる私たちは恐れることはないのです。 もし万が一、私たちが真っ逆さまに倒れてしまうように感じるときがあっても、神は『永遠の腕』(申命33章27) をもってしっかりと支えていてくださいます。 |
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最終更新日 ( 2007/01/24 水曜日 16:07:58 JST )
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