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求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ 7章7節) Ask and it will be given to you; seek and you will find.(Matthew 7:7 NIV) ジョージ・ミュラーは、忍耐の祈りについて次のように言っています。 『私は二人の人のために、23年間祈り続けてきました。私の他の祈りは、何千何万と答えられているのに、この二人の救いに関する祈りは、今に至る迄答えられません。私の信仰は、大いに試みられます。しかし、忍耐をして神を待つならば祝福は必ず与えられます』と。
ジョージ・ミュラーの祈りは答えられて、一人は、ミューラーの死の直前に救われ、もう一人も、それから一年後に救われたそうです。
一、真夜中のノック(ルカ 11章5−8節)
人間の社会には一般に常識というものがあります。これは特定のだれかが規定したということではなく、長い歴史の中で自然に作りあげられていくものです。そしてその常識は、暗黙のうちに守ることが要求されます。ですから、イエスがはなされたように、もし真夜中に食料の必要の為に友人の家の戸をたたく者がいたとすれば、それは、相手がいくら友人でも非常識な行為とみなされるでしょう。実際私たちが寝ている夜中に、いきなり家の戸をたたかれたらどうでしょうか。 しかし、たとえ非常識だと言われ、一度は拒否されても、本当に緊急にパンが必要なので、批判されることを覚悟して、戸をたたき続けたのです。この箇所では、このような非常識な行動をとっても熱心に頼み続ければ、結果的には希望がかなったことが記されています。8節の『あくまで頼み続ける』ということばに注目してください。頼み続けるという積極性が願いの答えを引き出したとも言えます。
二、たたき続けなさい。(ルカ 11章9、10節)
ところで、我々日本人は、人間関係で恥をかくことを極端に嫌う国民です。皆さんの中にも幼いときから『人に迷惑をかけないように』と教育された人がたくさんいると思います。だから私たちは非常識な行動はできるだけ慎むように気をつけます。しかし、神と会話をする祈りの生活では、このような遠慮はいりません。
神は私たちの祈りが整っていて形式的であるよりも、なりふりかまわない熱心な祈りであることを望まれます。通りいっぺんの形式的祈りをしていて、それが聞かれることは期待できません。
イエスはたとえ話しをされた後、弟子たちに、自分たちの必要を自覚し、それを真に求めることを勧めました。7節にある『求める』『捜す』『たたく』ということばはみな、自分の必要を神に求める態度です。これらの厳密な意味は『求め続ける』『捜し続ける』『たたき続ける』ということです。あの友人からパンをもらった人のように、しつこいほどに求め続けることが大切だとイエスは強調されています。そして、そうするなら、イエスを信じるすべての人に何の差別もなく答えを与えられることが約束されています(10節)。
キリストを受け入れた者は、罪によって切り離されていた天の父との関係を回復でき、私の父とよべるようになります。そればかりではありません。天の父ご自身が私たちの生活に深い関心をもってくださるので、自分たちの必要を遠慮なく申し上げることができるようになるのです。
主は私たちが熱心に求め続ければ必ず答えてくださる方です。だから率直な祈りによって、全能なる神に、必要を与えられるように、求め続け、捜し続け、たたき続けましょう。
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