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『私の仕えている万軍の主は生きておられます』(1列王18章15節)
Then Elijah said, “As the LORD of hosts lives, before whom I stand, I will surely present myself to him today.”(1Kings18:15 NKJV) 礼拝メッセージMP3
一、中途半端であってはならない(1列王18章1−24節)
雨が降らなくなってから3年たちました。水不足のため、イスラエルはひどい飢饉が起こっています。その時、エリヤに神の声があり、エリヤは再びアハブに会いに出かけました。(1、2節)アハブはエリヤを見るなり、すべての災いのもとはエリヤであると言いました。3年間の苦しみを経験しても、ちっとも悔い改めてなどいなかったのです。民も同じです。21節を読みましょう。一言も返せません。民はさほど積極的にバアルに仕えているわけではなかったのですが、まことの神に従ってもいませんでした。私たちも中途半端であってはいけません。黙示録3章15、16節を読んで下さい。神は、心から徹底してご自身に従うことを私たちに望んでおられます。
エリヤは、バアルの神とまことの主のどちらが本当の神かを示すため、一つの試みを提案しました。二頭の雄牛をそれぞれたきぎの上に置き、火を下して雄牛を焼き尽くした神に軍配を挙げるというものです。エリヤはたった一人で、450人ものバアルの予言者に立ち向かったのです。
二、偶像の神は存在しない(1列王 18章 25−29節)
火が下るよう先に祈り始めたのはバアルの側です。バアルの予言者たちは昼まで祈り続けましたが、何の答えもありません。そこで祭壇の周りを踊り回り、27節のようにエリヤに皮肉られると、剣や槍で自分たちの体を傷つけることまでするありさまでした。しかし、何をしても、どう逆立ちしても火は下りませんでした。むなしく騒音ばかりが続くだけです。
三、まことの神は生きておられる(1列王 18章30−46節)
次はエリヤの番です。エリヤは近づくようにと民に言い、祭壇を建て直して、タキギの上に雄牛を置きました。少しの疑いも与えないよう、牛の上に水をかけさせました。水は祭壇の周囲にながれだしました。周囲に掘った溝にも水を満たしました。そしてエリヤは祈りました。36、37節を読みましょう。その祈りには、民への心からの愛が表れています。エリヤがバアルと対決したのは、単にバアル側の愚かさをあざけるためではなく、まことの神は生きておられることを示し、何とかして民がまことの神に立ち返って、神との麗しい愛の関係に再び入ることを願ったからなのです。
主は祈りに答えられました。一瞬にしてすべてが焼き尽くされ、溝の水も残らなかったのです。民はひれ伏して主を礼拝し、バアルの予言者たちは殺されました。なおも祈ると、今度は大雨が降り出しました。長い間の干ばつは終わりました。神は民を愛し、民の必要を満たしてくださるお方なのです。(ヤコブ5章17、18節参照)
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