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主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のらっぱの響きのうちに ご自身天から下って来られます。(1テサロニケ 4章16節)
一、再臨の約束 (使徒 1章6−12節)
よみがえられた主イエスは、40日の間、弟子たちの前に姿を現されましたが,やがて弟子たちの見ている前で、天にお帰りになりました。主の復活の喜びもつかの間,また取り残された弟子たちは、呆然として天を見上げました。10、11節を読みましょう。イエスが再び来られるという天使の証言はどんなに弟子たちを励ました事でしょう。
イエスも,かつて弟子たちに、ご自分の再臨について約束し『あなたがたに場所を備えたら,また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます』と言われました(ヨハネ 14章3節)。
二、再臨の意義 (1テサロニケ 4章16−17節)
イエスがどのようにして再びおいでになるかということは、非常に興味深いことです。パウロは大いなる希望をもって、再臨の様子を次のように記しています。16、17節を読みましょう。何と輝かしい表現でしょう。ラッパの音は、勝利を表しています。貧しい大工の子として家畜小屋で生まれたイエスが、今度は、神のラッパの響きとともに来られるというのです。その時、私たちは、罪と死の支配から完全に解放されて、決して滅びることのない栄光の姿によみがえります。そして、雲の中に引き上げられ、空中でイエスにお目にかかります。それから、いつまでもイエスとともにいるようになるのです。イエスは『そのとき、人の子は 地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます』(マルコ 13章27節)と言われました。これこそ、長い間すべてのクリスチャンが待ち望んでいた神の国の到来です。
三、再臨を待望する (マルコ13章 32−37節 )
この世の終末が近いと言われています。世界情勢や気象の異変などがあると、人々は人類の滅亡の日が近いのではないかと危ぶみます。数年前『ノストラダムスの大予言』などが書店でよく売れたそうです。聖書にも、終末についての預言がいろいろ記されていますが、それを間違って解釈した本などがいろいろ出ているので注意しなければなりません。この世の終末論には暗いイメージがありますが、イエスの再臨は私たちの希望です。しかし、イエスがこの世をさばくためにおいでになるということも忘れてはなりません(第2テサロニケ1章7−9節)。
イエスはいつ来られるのでしょうか。32節を読みましょう。このことについて、イエスは33節以降のたとえ話でお教えになりました。イエスは、それがいつであるかわからないのだから『目をさましていなさい』と言われました。『目をさましている』とは、いつも神の教えを守り,信仰をもって生活をするということです。イエスがいつ来られるかを問題にするのではなく,いつ来られても喜んでお迎えできるような生活をすることが大切なのです。
再臨について、聖書はあまり詳しく教えていません。しかしそれ以外のすべての預言が成就したように,再臨の預言も必ず成就します。神は今、世界の国々に福音が行きわたるのを待っておられます。その使命は,私たちに負わされているのです。
昔から多くのクリスチャンたちが期待していたように、終末の時代に生きる私たちも、主イエスが再び来られる日を心から待ち望みましょう。
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