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神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方ににあって、神の義となるためです。(第2コリント 5章21節) 一、十字架につける計画(マタイ26章1−5節)
イエスは,弟子たちに終末についてお話になってから、御自身が、あと二日後、の 過ぎ越しの祭りの時に、十字架につけられるために捕らえられることを予告なさいま した事実その頃、祭司長や長老たちが、大祭司の庭に集まって,イエスをだまして捕 らえ殺そうと計画していたのです。イエスを殺すことは,自分たちの計画である、と祭司長たちは思っていたことでしょう。しかし、イエスの死は、それ以前からの父なる神のみこころであったのです。イザヤ53章10節を読みましょう。イエスは、祭司長たちの企みを知りつつ、自ら進んで神のみこころを遂げようとしておられたのでした。
二、高価なものをささげる(マタイ26章6ー13節)
さて、十字架の出来事があと数日に迫っていたある日、イエスはシモンの家に招か れていましたその晩餐の席で、一人の女性がたいへん高価な香油が入った壷を持って イエスに近づき、その香油をイエスの頭に注いだのです。この唐突な行為に、弟子たちは驚いて非難を始めました。 8、9節を読みましょう。『もったいない、これを売 れば貧しい人たちを大勢助けることができたのに』 この弟子たちの非難とは異なり、イエスは、この女性のささげものを心から喜んで受 け入れられました。10−13節を読んで下さい。一見もっともらしいことを言う弟子たちでしたが、実際その香油が自分のものであったら、彼らは、自分たちのことばどおりにそれを売って貧しい人たちに施したでしょうか。それは疑問です。イエスは、私たちのことばや行いよりも、それを生む 私たちの心をご覧になる方です。 イエスは 弟子たちの心を見抜いて,11節にあるように貧しい人たちを助けることはいつでもで きるではないか、と指摘されたのです。 女性は,いつも主イエスの言われることを注意深く聞き、心に留めていたので、その死が迫っていることを感じ取っていました。そして今自分が主イエスに対してでき る最善のことをしたのでした。 外側に表れる姿や行いがどれほど周りから見て愚かだったり意味がないように映ろうとも、心から主を愛する思いでささげ奉仕するならば、主はそれを心から喜んで下さいます。女性の行いはその時はそれほど深く考えず、無 我夢中でしたものかもしれません。それは図らずも主の葬りの備えの行為となり、13 節のとおり、後々の時代まで、みこころにかなった貴い行為として語られるようになっ たのでした。 三、わずかなもので裏切る(マタイ26章14−16節)
ユダは、そっと弟子たちの側を離れて、祭司長のもとを訪れ、イエスを金で引き渡す相談を持ちかけました。銀貨30枚とは、先ほどの女性の香油の値段よりはるかにわ ずかな金額でした。このようにして、イエスに対する父なる神のご計画は着実に進め られていったのでした。
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