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私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。 (第一コリント1章23節) 一、コリント教会からの知らせ(第一コリント1章11、12節) パウロは,コリントの教会が幾つかのグループに分かれて仲間割れを起こしていることを、この教会のクロエという人の手紙で知りました。それぞれ『パウロにつく』『ケパに』『アポロ』にとかってに人の名前を担ぎ出し、自分たちの主張を通そうと口論していたのです。 二,一致の勧め(第一コリント1章10−17節) パウロはコリントの教会に、一致して同じ心をを保つように勧めています。10節に『主の御名によって、あなたがたに お願いします』とあるように一致を保つことが主イエス御自身の祈りでもありました(ヨハネ17章21−23節)。誰からバプテスマを授けられた、というようなことで派閣をを作る人たちに対して、パウロは、自分はバプテスマを授けるよりはるかに大切な使命、つまり福音を伝えるために遣わされていると述べています。 それも、人の耳に快く響く言葉をあれこれ使って、福音の一番大切なメッセージであるキリストの十字架の出来事を曖昧にしてはならないとパウロは強調するのです。 三、十字架のことば(第一コリント1章18ー2章2節、ロマ1章16節) あなたは友人に伝道しようと福音を語って『そんなこと信じているの』とあきれられたり、馬鹿にされたことはありませんか。キリストの十字架の出来事は、多くの人々にとっては到底受け入れがたいことなのかも知れません。私たち人間が、自分の限られた経験や知識、理性の中で十字架の出来事を判断したり,量ろうとすると、それはばかばかしく、愚かに感じられるでしょう。パウロも伝道旅行中に福音を語った時、どれほど人々に嘲弄され、拒絶されたかも知れません。 それどころか、投獄されたり、生命の危険を感じることもありました。しかしパウロは、コリントの教会への第一の手紙で『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です』(1章18節) とはっきり述べ『私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える』(1章23節)、『十字架につけられた方のほかは何も知らないことに決心した』(2章2節)と宣言しているのです。 それは私たちの信仰が、私たちの罪のためにキリストが十字架で死んで下さったという事実の上に成り立っているからです。この十字架の出来事こそが,私たちの信仰の土台にあるのです。沢山ある聖書のことばに、どれほど精通し賛同したとしても、この一点を受け入れて信じることをしなければ、私たちは神の御前に救われた者とはならないのです。 来週から三回にわたって、この福音の中心である十字架の出来事を見てゆきます。 遠い過去に起こったこととしてではなく、自分と深い関わりのある出来事としてとらえ、考えてほしいと願います。
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