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御子は神の栄光の輝き、また本質の完全な現れである。 (ヘブル1章3節)
一、モーセとエリヤの証言(ルカ9章28−33節) イエスは、ペテロとヨハネを連れて山に登りました。祈るためです。 29節を読みましょう。『御顔の様子が変わり御衣は白く光り輝いた』というのは、イエスが本来もっておられる神としての栄光が現されたという意味です。 そればかりではありません。モーセとエリヤがイエスと話し合っています。 モーセは、奴隷となっていたイスラエル民族をエジプトから脱出させた指導者エリヤは旧約聖書に出てくる最も偉大な預言者です。 この二人は、律法と預言者を代表しているのです。 イエスがこの二人と話しておられたのは、イエスがこれから受けるお苦しみについてでした。 イエスがやがてエルサレムで殺され、三日目によみがえることは、ペテロの信仰告白のすぐ後にイエス御自身の口から予告されていたことでもあります (マタイ16章21節)。 ペテロたちは実は眠くてたまらなかったのですが、目が覚めて、すっかり変ってしまったイエスのお姿と一緒にいるモーセとエリヤを見ました。 ペテロたちはまったく驚いてしまいました。
モーセとエリヤがイエスから別れていこうとした時、ペテロは口を開きました。 33節を読みましょう。
三人の住いを造ることで、この素晴しい体験を長引かせようと思ったのでしょう。 感激のあまり自分でも何を言っているのか分かっていなかったのかも知れません。 二、天からの確認(ルカ9章34−36節) ペテロが話しているうちに雲がわき起こって、イエスとモーセとエリヤを包み込みました。
雲は神の臨在を表しています。見ていた弟子たちは恐ろしくなりました。 すると、雲の中から声がしました。35節を読みましょう。これは神御自身の声です。この声がした時には、もうモーセとエリヤの姿は見えませんでした。 ただイエスお一人がそこにおられました。 ペテロは先ほど、イエスをモーセやエリヤと同じに扱うという間違いを犯しましたが、神は、イエスだけを残すことによって、イエスがモーセやエリヤとは比較にならない神の御子であることをお示しになったのです。 三、苦難の後の栄光(ピリピ2章6−9節) イエスがこの山の上でお示しになったお姿は、神であるイエスの本当のお姿です。
しかし、この栄光を受ける前に、イエスは十字架という苦難を味わなければならないのです。
ピリピ2章6ー9節を読みましょう。 イエスは、ペテロたちが目撃したように、栄光に満ちあふれた神なのですが、神としての在り方を捨てて、人間の姿をとってくださったのです。 それは、私たちのために十字架という苦しみを受けるためでした。 やがてイエスはエルサレムで十字架刑を受けて殺されますが、予告なさったように三日目によみがえります。 ペテロたちが見た栄光にあふれるイエスの姿は、復活の後に現されるイエスの本当の姿だったのです。
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