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作者 Administrator
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2007/01/25 木曜日 21:54:53 JST |
御救いはあなたが万民の前に備えられたものです。 (ルカ 2章31節)
一、律法を守る(ルカ2章21−24節)
幼子イエスは、罪人と同じように割礼を受け、母と共にきよめの期間を守り、犠牲をささげるため神殿に行きました。 後にヨハネから洗礼を受けられたことと合わせ、これらのことが行われたのは、イエス御自身に罪があったからではありません(ヘブル2章17節)。 イエスは、罪ある人間同様、律法の要求のもとに服されたのです。 律法の要求するところをみな完全に守り、贖い主の条件を満たされたのです。
二、シメオンとアンナ(ルカ2章25ー38節)
神殿では、シメオンとアンナがそれぞれ幼子イエスと出会いました。 どちらも信仰深い生涯を送り、晩年を迎えた老人でした。この幼子が、長く待ち望まれていた救い主であると聖霊に導かれて分かると、シメオンは、 『今こそ、、、安らかに去る』(29節) ことができると神をほめたたえ、アンナは『すべての人々に、この幼子のことを語った』(38節)。 イエスとの出会いは、どのように年老いた人にも人生への満足感と死への備えを与え、また果たすことの出来る使命を与えるのす。 福音は、人種、年齢、性別を問わず、それを受け入れるすべての人に喜びと使命をあたえるものなのです。
三、イエスについての預言(ルカ 2章31−35節)
シメオンは、賛美や感謝と同時に、イエスの将来についても御霊に導かれて預言します。 イスラエル人と異邦人とを問わず『万民の前に備えられた』(31節)お方であり、このお方を軸として人々は倒れたり、立ち上がったりする、と言うのです。 そして、人々の反感を買って十字架の死を経験されるであろうことも予告するのです (34節)。 さらに、シメオンは、マリヤがイエスの死により心を刺し貫かれるような悲しみを経験することも予告します。 子供が生まれて喜んでいる若い母親にとって、その子の死が (暗示的にとはいえ) 予告されるとは、どんな悲しみでしょうか。 しかし、マリヤはすでに御使いを通して、自分が神の特別な使命を果たすために選ばれた存在であること、生まれて来た子は特別な存在であることを知らされており、シメオンの預言も信仰をもって受け止め、動揺することはありませんでした。 このように、イエスはその人生のスタートから、はっきりと救い主としての使命が確認されていたのです |